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長岡京市立長岡第二中学校(ながおかきょうしりつ ながおかだいにちゅうがっこう)は、京都府長岡京市今里五丁目にある市立中学校。2番目に開校した市立中学校で、市北部を校区とする。略称は「二中」(にちゅう)、「長二中」(ながにちゅう)。 == 沿革 == 1960年代終わりごろには長岡中学校の生徒数が1000人を超え、第二中学校の必要性が論じられるようになった。長岡中学校は町立と名乗りながらも、長岡町の井ノ内、滝ノ町両地区が町域を超えて乙訓学校事務組合立乙訓中学校(現向日市立勝山中学校)に通っていた関係上、乙訓学校事務組合による運営となっていた。そのため、第二中学校の検討にも事務組合との調整が必要であった。しかし、事務組合との調整は進展しないまま長岡中学校の生徒数は1500人を超えていった。この状況から長岡町は「これ以上協議は延ばせない」として、町単独の運営により第二中学校を町の北部に建設することを決定した。1971年に今里地区で用地の取得を完了し、1973年4月に長岡中学校の分離校として「長岡京市立長岡第二中学校」(長岡町は1972年に市制施行)が開校した。井ノ内、滝ノ町両地区も新入生から長岡第二中学校へ通学することになったため、2年後には乙訓中学校への通学委託問題も解決された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長岡京市立長岡第二中学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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