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長嶋 茂雄(長島 茂雄〔1993年の2度目の監督就任以前まで、新聞やマスコミにおいて、「嶋」は常用漢字ではないので、「長島」姓の表記が使われていた(なお『巨人の星』や『ドカベン』などの創作物などの多くは長島表記であった)。したがって「島」と表記するのは本来ならば誤記である。しかし1993年以前の書籍などでは上記が誤って定着してしまったのか、この表記になっている場合が多い。〕、ながしま しげお、1936年(昭和11年)2月20日 - )は、千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身の元プロ野球選手(内野手)・プロ野球監督。読売ジャイアンツ終身名誉監督。日本プロ野球名球会顧問。血液型はB型。 闘志溢れるプレイと無類の勝負強さで巨人の4番打者として活躍し続け、多くの国民を熱狂させた。「ON砲」として並び称された王貞治とともに巨人のV9に大きく貢献した。2001年より株式会社よみうり(現:株式会社読売巨人軍)専務取締役、巨人軍終身名誉監督。2013年、国民栄誉賞を受賞した。 == 経歴 == === 生い立ち === 1936年、千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)に生まれた。父は「利(とし)」、母は「ちよ」。兄1人・姉2人の4人兄弟の末っ子である。生家は農家だったが〔 『姓氏』(著者:丹羽基二、監修:樋口清之)p237.によると、長嶋氏は桓武平氏良文流千葉氏の末裔と述べている。〕、土地は貸し出し、父は町役場の収入役や助役をしていた〔第13回災害の年に向き合う日本の心は 、セコム、2011年10月3日、『おとなの安心倶楽部』〕。母は意志が強いしっかり者だった〔。 幼少時代、阪神タイガースの藤村富美男のプレーを見て野球選手を志すようになる〔日本テレビ『知ってるつもり?!』藤村富美男、1998年12月6日放送での長嶋のインタビュー、読売新聞連載「時代の証言者 長嶋茂雄、2006年、時代の証言者・長嶋茂雄 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) 〕。小学4年生から兄の影響で野球を始めたが、当時は終戦間もなくということもあって道具があまり揃えられず、母親にビー玉と堅い布でボールを作ってもらっていたという。また、グラブも母親の手縫いのもので〔『100人の20世紀(下)』(61)長嶋茂雄[西村欣也執筆]2001年、朝日文庫、p.111〕、初めて握ったバットは青竹を割った手製のものであった〔沢木耕太郎著「三人の三塁手」(『敗れざる者たち』収録)〕。 小学校6年生の時に兄が所属していた地元の青年野球団のハヤテ・クラブに入団した。兄の下で遊撃手として育てられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長嶋茂雄」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shigeo Nagashima 」があります。 スポンサード リンク
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