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長島 裕明(ながしま ひろあき、1967年3月22日 - )は神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本大学卒。 選手時代のポジションはディフェンダー(DF)、ボランチ、守備的ミッドフィルダー。 == 来歴 == 1989年に日本大学を卒業し、同年より湘南ベルマーレの前身であるフジタ工業サッカー部でプレー。1991年に現役を退いた後は指導者に転じ、24歳で日本大学サッカー部のコーチに就任。当時の教え子には岡野雅行、有馬賢二、山岸範之がいる。1996年から1998年には、徳島ヴォルティスの前身である大塚FCヴォルティス徳島のコーチ、U-15の監督を務めた。 FC東京がJリーグに加盟した1999年からはFC東京U-15の監督を務め、梶山陽平、吉本一謙、椋原健太、丸山祐市、権田修一、廣永遼太郎、鎌田次郎、染谷悠太、大竹洋平、宮阪政樹、井澤惇、岡田翔平、森村昂太、田中奏一、村田翔らを担当。また、三田啓貴、六平光成、藤原広太朗、山村佑樹、井上亮太、岩渕良太、宮澤勇樹らを発掘、2001年にはクラブユース選手権U-15で準優勝を経験した。2003年から2005年まではFC東京U-18の監督を務め、梶山、呉章銀、李忠成をトップチームに送り出した。また、宮崎智彦、常盤聡らを担当。2006年からFC東京育成部部長代理に就き、この間にS級ライセンスを取得〔 日本サッカー協会 (2007年9月13日)〕。 2008年、モンテディオ山形のコーチに就任〔2008シーズン新体制のお知らせ モンテディオ山形 (2008年1月8日)〕。若手育成をはじめ、小林伸二監督の懐刀として〔 山形新聞 2010.12.26〕映像分析やスカウティングを担当した〔「【モンテディオ山形】 3カ月の軌跡(中)頭脳」 asahi.com 2009.06.22〕。また、シーズン終盤スターティングメンバーに定着した馬場憂太の山形移籍に助力。この年チームはリーグ戦を2位で終えJ1昇格を果たす。2009年からは、ヘッドコーチとして〔2009シーズン新体制のお知らせ モンテディオ山形 (2009年1月14日)〕チームの躍進を支えた。契約満了により2010年限りで退任〔長島裕明ヘッドコーチ 契約満了のお知らせ モンテディオ山形 (2011年1月12日)〕すると同時に古巣であるFC東京へ復帰する。 2011年からFC東京でコーチを務めた〔 FC東京 2011.01.23〕。出場機会の乏しい選手達と向き合って〔F東京MF高橋秀人 今を支えるコーチとの出会い ゲキサカ (2013年8月21日)〕競争意識と一体感を高め、高橋秀人らの台頭を促す〔長島コーチが退団 東京中日スポーツ (2012年12月13日)〕などチームの底上げに貢献した。この年、チームはJ2リーグを制してJ1昇格。更に、天皇杯優勝を果たした。 2013年から古巣徳島ヴォルティスのヘッドコーチに就任〔長島 裕明氏 ヘッドコーチ就任のお知らせ 徳島ヴォルティス 2012.12.13〕。山形在籍時以来となる小林の下での指導に当たり〔2013シーズン戦力補強診断J2編 徳島ヴォルティス フットボールチャンネル (2013年2月20日)〕、小林との「ゴールデンコンビ〔育てる徳島、成長でつかんだJ1昇格 前半戦15位から驚異の巻き返し スポーツナビ (2013年12月9日)〕」でクラブ史上初となるJ1昇格に貢献。コーチとして異なるチームでJ2からJ1への昇格を3度達成した。 2016年より徳島ヴォルティスの監督に就任〔長島裕明 新監督就任お知らせ 徳島ヴォルティスオフィシャルサイト (2015年11月26日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長島裕明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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