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長崎への原爆投下 : ミニ英和和英辞書
長崎への原爆投下[ながさき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 
: [みさき]
 (n) cape (on coast)
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
原爆 : [げんばく]
 【名詞】 1. (abbr) atomic bomb 2. A-bomb 
: [ばく]
  1. (int) exclamation 2. burst of laughter
投下 : [とうか]
  1. (n,vs) throwing down 2. dropping 3. airdrop 4. investment 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)

長崎への原爆投下 ( リダイレクト:長崎市への原子爆弾投下 ) : ウィキペディア日本語版
長崎市への原子爆弾投下[ながさきしへのげんしばくだんとうか]


長崎市への原子爆弾投下(ながさきしへのげんしばくだんとうか)では、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分〔アメリカ軍の記録による投下時刻は午前10時58分〕に、アメリカ軍日本長崎県長崎市に対して投下した原子爆弾〔アメリカは長崎に投下した原子爆弾のコードネームファットマン()と名付けていた。制式名称はマーク3(Mk.3)核爆弾。〕(以下『原爆』と記す)に関する記述を行う。これは、実戦で使われた人類史上二発目の核兵器である〔現時点では実戦で使われた核兵器は広島・長崎の二発である〕。この一発の兵器により当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死没、建物は約36%が全焼または全半壊した〔原爆死没者名簿の人数は2009年8月9日現在で14万9266人。〕。
長崎県、長崎市を指す「長崎」が「ナガサキ」と片仮名表記される場合は、長崎市への原爆投下を指すことが多い。
== 原爆投下時 ==

=== テニアンから小倉上空 ===
8月6日広島原爆投下作戦において観測機B-29グレート・アーティスト」を操縦したチャールズ・スウィーニー少佐は、テニアン島へ帰還した夜、部隊の司令官であり、広島へ原爆を投下したB-29「エノラ・ゲイ」の機長であったポール・ティベッツ大佐から、再び原爆投下作戦が行われるためにその指揮を執ること、目標は第一目標が福岡県小倉市(現:北九州市)、第二目標が長崎市であることを告げられた。
その時に指示された戦術は、1機の気象観測機が先行し目標都市の気象状況を確認し、その後、護衛機無しで3機のB-29が目標都市上空に侵入するというものであった。この戦術は、広島市への原爆投下の際と同じものであり、日本軍はこれに気付いて何がなんでも阻止するだろうとスウィーニーは懸念を抱いた〔当時の長崎県知事であった永野若松の証言(長崎市編『ナガサキは語りつぐ』40頁)によると、8月8日夜の警察との会議では、長崎はほとんど無傷に近いので、広島と同じ爆弾が長崎にも落とされるに違いないとの結論が出ていた。翌9日の午前9時前には気象観測機ラッギン・ドラゴンと思われる爆撃機に対する空襲警報も発令された後、爆弾投下直前の10時53分には2機が視認されており、スウィーニーの懸念のように、広島爆撃と同様の状況であることは日本側も察知していた。それにもかかわらず、有効な迎撃手段はとれなかったということになる。〕
出撃機は合計6機であった〔気象観測機は小倉へはB-29エノラ・ゲイ(ジョージ・マクォート George W. Marquardt 大尉)、長崎へはB-29ラッギン・ドラゴン(チャーリー・マクナイト Charles F. McKnight 大尉)が飛び、計測機としてB-29グレート・アーティストフレデリック・ボック Frederick C. Bock 大尉)、写真撮影機としてB-29ビッグ・スティンク(ジェームス・ホプキンズ James I. Hopkins 中佐)、予備機としてB-29フルハウス(ラルフ・テイラー Ralph R. Taylor 少佐)、爆弾投下機はB-29ボックスカーであった。〕。
スウィーニーの搭乗機は通常はグレート・アーティストであったが、この機体には広島原爆投下作戦の際に観測用機材が搭載されていた。これをわざわざ降ろして別の機体に搭載し直すという手間を省くため、ボック大尉の搭乗機と交換する形で、爆弾投下機はボックスカーとなったのである〔これらの機体の愛称は出撃時には機体に描かれていなかったため、唯一人これらの原爆投下作戦の取材許可を得ていた「ニューヨーク・タイムズ」の記者ウィリアム・ローレンスはこの交換のことを知らず、後の記事で「爆弾投下機はスウィーニー少佐の搭乗したグレートアーティスト号」としてしまい、これが原因で戦後しばらくの間は爆弾投下機の名前が間違って伝わることとなった。なおローレンスはこの原爆投下作戦に関する記事で1946年のピューリッツァー賞を受賞している。〕。
ボックスカーには、スウィーニーをはじめとする乗務員10名の他、レーダーモニター要員のジェイク・ビーザー中尉、原爆を担当するフレデリック・アッシュワース海軍中佐、フィリップ・バーンズ中尉の3名が搭乗した〔なおボックスカーは出撃直前になって後部爆弾倉ブラダの予備タンクの燃料ポンプに故障が見つかり、2000ℓの燃料が使えないままになることが分かった。しかしスウィーニーは修理することは原爆投下作戦の延期に繋がると考え、ぎりぎりで帰還できると見込み、修理はせずに日本時間8月9日午前2時45分に離陸した。〕。
先行していたエノラ・ゲイからは小倉市は朝靄がかかっているがすぐに快晴が期待できる、ラッギン・ドラゴンからは長崎市は朝靄がかかっており曇っているが、雲量は10分の2であるとの報告があった。
硫黄島上空を経て、午前7時45分に屋久島上空の合流地点に達し、計測機のグレート・アーティストとは会合できたが、誤って高度12,000mまで上昇していた写真撮影機のビッグ・スティンクとは会合できなかった〔スウィーニーは著書『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』において、会合できなかった理由はビッグ・スティンク機長のホプキンズ中佐のミスであり、作戦前の打合せをホプキンスが拒絶したからであると回想している。また、この合流失敗の際に、ホプキンズが「スウィーニーは止めたのか?」と通信したことから、テニアン基地では「スウィーニーは止めた」と受信し、作戦を中止し帰還するのだと考えたという。〕。40分間経過後、スウィーニーはやむなく2機編隊で作戦を続行することにした。
午前9時40分、大分県姫島方面から小倉市の投下目標上空へ爆撃航程を開始し、9時44分投下目標である小倉陸軍造兵廠上空へ到達。しかし爆撃手カーミット・ビーハン陸軍大尉が、当日の小倉上空を漂っていた霞もしくは煙のために、目視による投下目標確認に失敗する。なお、この時視界を妨げていたのは前日にアメリカ軍が行った、八幡市空襲(八幡・小倉間の距離はおよそ7km)の残煙と靄だといわれる(アメリカ軍の報告書にも、小倉市上空の状況について『雲』ではなく『煙』との記述が見られる)。この時地上では広島への原爆投下の情報を聞いた八幡製鉄所の従業員が少数機編隊で敵機が北上している報を聞き、新型爆弾を警戒して「コールタールを燃やして煙幕を張った」と証言している〔【原爆:投下の日「煙幕」…八幡製鉄所の元従業員が証言】(毎日新聞・2014年7月26日) )、その時のコールタールの煙幕が煙と靄の正体であった可能性がある。〕。その後、別ルートで爆撃航程を少し短縮して繰り返すものの再び失敗、再度3度目となる爆撃航程を行うがこれも失敗。この間およそ45分間が経過した。
この小倉上空での3回もの爆撃航程失敗のため残燃料に余裕がなくなり、その上ボックスカーは燃料系統に異常が発生したので予備燃料に切り替えた。その間に天候が悪化、日本軍高射砲からの対空攻撃が激しくなり〔スウィーニーの回想では、弾着を示す黒い塊が周囲にいくつも浮かんでいたということで、この時点でボックスカーは高射砲の射程圏内にあったと考えられる〕、また、陸軍芦屋飛行場から飛行第59戦隊の五式戦闘機、海軍築城基地から第203航空隊の零式艦上戦闘機10機が緊急発進してきたことも確認されたので、目標を小倉市から第二目標である長崎県長崎市に変更し、午前10時30分頃、小倉市上空を離脱した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「長崎市への原子爆弾投下」の詳細全文を読む




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