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長崎バスジャック事件(ながさきバスジャックじけん)〔1981年2月18日に放送された「水曜スペシャル 日本100大犯罪」では「北九州バスジャック事件」(きたきゅうしゅうバスジャックじけん)と称している。〕は、1977年(昭和52年)10月15日に発生したバス乗っ取り事件である。なお「バスジャック」という語は「ハイジャック」から造語された和製英語である。 この事件は2人の犯人によって起こされた。犯人の1人は射殺され、人質は全員救出された。 == 経過 == 1977年10月15日午前、長崎県平戸発佐世保・大村経由長崎駅前行きの西肥自動車の路線バス(三菱ふそう車)が途中の大村市内を走行中、銃や爆弾を持ち「阿蘇連合赤軍」を名乗る2人組の男に乗っ取られた。その後、バスは給油のため長崎市内のガソリンスタンドに立ち寄ったが、スタンド従業員からの通報を受けた長崎県警察はバスのエンジンスターターを不作動にする措置を行い、バスを包囲した。 犯人たちは乗客5人の解放と引きかえに食料(寿司30人前)や水(コーラ30人前など)、そして毛布50枚を要求していた。また「法務大臣の瀬戸山三男と新自由クラブ(当時の野党)代表の河野洋平及び、政治評論家の細川隆元を連れてこなければ交渉には応じない」などと主張した。しかし、この時に犯人らは自分達の事を「阿蘇連合赤軍」と極左風の団体名を名乗っておきながら右翼的な論評の目立つ保守派評論家であった細川の事を「細川隆元先生」と呼ぶなど、思想的に考えて支離滅裂と思わざるを得ない発言が目立ったことから、警察では早い時点で犯人達は赤軍派とは無関係の集団だと判断していた。実際、犯人らは赤軍派を名乗っていたが、政治思想とは何ら関係ない場当たり的な犯行であった。 警察は犯人らに対して説得をおこなったが、人質の体力が限界に達したとして、事件発生後18時間経過した翌16日午前4時25分に警察官の一人が説得しながら最終的に「撃つなら俺を撃て、撃つなら撃ってみろ!」と犯人を挑発したところ、主犯格の男が手製爆発物を投擲、爆発物が爆発した瞬間に突入隊は一斉にバス内部へ突入した。3名の警察官が合計7発を発砲、この銃撃で主犯(当時31歳)は被弾し20分後に死亡、もう1人の犯人(当時39歳)は重傷を負った。人質16人は全員無事に救出された。 生き残った犯人には懲役6年が言い渡された。身代金狙いの犯行だった。 犯人射殺となった人質事件の解決は1970年に発生した瀬戸内シージャック事件以来2例目となった〔瀬戸内シージャック事件では、自由人権協会所属の人権派弁護士2名により当時の広島県警察本部長と狙撃手が告訴(最終的には不起訴)されているが、この事件においては同様の訴訟は発生しなかった。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長崎バスジャック事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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