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長崎大学教育学部附属小学校(ながさきだいがくきょういくがくぶふぞくしょうがっこう, The Elementary School Attached to the Faculty of Education, Nagasaki University)は、長崎県長崎市文教町にある国立小学校。 長崎大学教育学部の附属校であり、長崎大学教育学部附属中学校が併設されている。 ==概要== ;校章 :北斗星(☆五光星)をモチーフに、中央に「附」の文字を置く。星の5つの先端はそれぞれペン先になっており、学問を表している。またこの校章にちなみ、児童を「北斗の子」と呼んでいる。 ;教育目標 :3つの道標「北斗の子」 : *自分の力で、ねばり強くやりぬこう。 : *物事は筋道を立てて深く考えよう。 : *決まりを守り、協力して生活を明るくしよう。 ;合言葉 :「いい顔、いい声、いい心」 == 沿革 == ;官立(国立) 師範学校附属小学校 *1874年(明治7年)2月19日 - 立山に官立(国立)の「長崎師範学校」が開校。 *1875年(明治8年) *9月14日 - 附属小学校の生徒を募集。 *11月 - 「官立長崎師範学校附属小学校」が開校し、50名の入学が許可される。 *1878年(明治11年)2月 - 国の財政悪化により、官立長崎師範学校が廃止される。建物・備品は長崎県に移管され、附属小学校は「崎陽師範学校第二附属小学校」となる。 ;県立 師範学校附属小学校 :長崎大学教育学部附属小学校の前身とされている。 *1874年(明治7年)2月15日 - 勝山小学校(現長崎市立桜町小学校)内に「小学教則講習所」が開校。 *1875年(明治8年)2月26日 - 「小学教則養成所」と改称し、興善小学校〔1874年(明治7年)12月20日に勝山小学校から生徒79名を移し、興善小学校が新設された。〕(後の長崎市立新興善小学校)内に移転。 *1876年(明治9年) *1月26日 - 「小学教師養成所」に改称。 *5月31日 - 「長崎公立師範学校」と改称。 *1877年(明治10年) *2月 - 勝山小学校内に再び移転。 *4月12日 - 「崎陽師範学校」と改称(「崎陽」は「長崎」を中国語風に呼んだ名称)。 *11月11日 - 新町(現 興善町)の小倉藩邸跡に校舎を新築し、移転。 *12月 -「崎陽師範学校附属小学校」が開校。 *1878年(明治11年) *1月 - 崎陽師範学校附属小学校開校式を挙行。 *3月 - 官立師範学校廃止に伴い、官立長崎師範学校附属小学校が移管され、「崎陽師範学校第二附属小学校」となる。 *6月16日 - 崎陽師範学校を「長崎県師範学校」と改称(「長崎県師範学校附属小学校」・「長崎県師範学校第二附属小学校」)。 *1884年(明治17年)6月 - 長崎市西浜町(現 浜町・銅座町)75番地の附属小学校敷地内に「長崎県女子師範学校」を設立。 ::(「長崎県師範学校附属小学校」・「長崎県女子師範学校附属小学校」)。 *1886年(明治19年) : *4月 - 長崎県女子師範学校が長崎県師範学校(男子校)への統合により「長崎師範学校女子部」となる。 ::(「長崎師範学校附属小学校」・「長崎師範学校女子部附属小学校」)。 : *6月29日 - 師範学校令の施行により「長崎県尋常師範学校」と改称 ::(「長崎県尋常師範学校附属小学校」・「長崎県尋常師範学校女子部附属小学校」)。 *1889年(明治22年)5月 - 西彼杵郡長崎村馬場郷(現・長崎市桜馬場2丁目、長崎市立桜馬場中学校校地)に校舎を新築し、移転。 *1898年(明治31年)4月 - 師範教育令により「長崎県師範学校」と改称。 ::(「長崎県師範学校附属小学校」・「長崎県師範学校女子部附属小学校」)。 *1908年(明治41年)4月 - 長崎県師範学校が「長崎県師範学校」(以下、男子師範)と「長崎県女子師範学校」(以下、女子師範)の2校に分離〔長崎県告示第81号による。〕。 *長崎県女子師範学校は岩原郷立山(現・長崎市立山)の旧制県立長崎中学校跡(現・長崎歴史文化博物館)に設置。4月15日に附属小学校、幼稚園の授業を開始。 ::(「長崎県師範学校附属小学校」・「長崎県女子師範学校附属小学校」) *1918年(大正7年)4月 - 「上長崎尋常高等小学校」を男子師範の代用附属小学校とする。(5年間) *1923年(大正12年)4月 *男子師範が長崎市桜馬場から東彼杵郡大村町下久原(現・大村市久原一丁目、長崎県立大村城南高等学校〔長崎県立大村城南高等学校学校案内 、2011年(平成23年)4月19日閲覧。大村城南高は昭和30年(1955年)に長崎大学教養部跡(旧師範学校下久原校地跡)に移転している。〕)の新校舎に移転。 *「大村町尋常高等小学校」〔大村市立大村小学校#沿革を参照。〕を男子師範の附属小学校として統合。 *女子師範が長崎市立山から長崎市桜馬場の旧・男子師範校舎跡地(現・長崎市立桜馬場中学校の校地)に移転。 *1925年(大正14年)12月 - 男子師範が「大村尋常高等小学校」を代用附属小学校とする。 *1934年(昭和9年)4月 - 男子師範と女子師範の校地が交換される。 *男子師範は長崎市桜馬場(現・長崎市立桜馬場中学校)に戻る。 *女子師範は大村下久原校地に移転〔1930年(昭和5年)大村高等女学校(現長崎県立大村高等学校の前身の一つ)の校舎が台風で倒壊した。その復興費用を節約するため、女子師範を大村の男子師範校舎に移転し、これに大村高等女学校を併設することになった〕〔『長崎県教育史』(1976年) 258-259頁。〕。これに伴い、大村尋常高等小学校が女子師範の代用附属校となる。 *1936年(昭和11年)4月 - 男子師範が「西浦上尋常高等小学校」を代用附属小学校とする。 *1937年(昭和12年)10月30日 - 男子師範が西彼杵郡西浦上村 (現在地、長崎市文教町) に校舎を新築し、移転。 *1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令に伴い、附属小学校を「附属国民学校」と改称。 *男子師範の代用附属国民学校は「長崎市西浦上国民学校」。 *女子師範の代用附属国民学校は「大村町大村国民学校」。 ;県立から官立(国立)への移管 *1943年(昭和18年)4月1日 - 師範教育令の改正により、長崎県師範学校と長崎県女子師範学校が統合され、官立(国立)「長崎師範学校」が設置される。 *男子部の校地は長崎市西浦上に設置(移管前と変更なし)。長崎市西浦上国民学校の附属国民学校代用を終了し、「長崎師範学校男子部附属国民学校」を設置。 *女子部の校地は大村市下久原に設置(移管前と変更なし)。大村市第一国民学校の附属国民学校代用を終了し、「長崎師範学校女子部附属国民学校」を設置。 *1945年(昭和20年) *8月9日 - 長崎市への原爆投下により、西浦上の男子師範が大きな被害を受け、当地での授業再開が困難となる。 *10月 - 師範学校の本部を大村の女子部に移し、男子部も大村に移転。 *1947年(昭和22年)4月 - 学制改革(六・三制の実施)により、附属国民学校初等科を附属小学校に、高等科(2年制)を附属中学校(新制中学校)に改組。 *男子部 - 「長崎師範学校男子部附属小学校」・「長崎師範学校男子部附属中学校」 *女子部 - 「長崎師範学校女子部附属小学校」・「長崎師範学校女子部附属中学校」 ;国立大学 教育学部 附属小学校 *1949年(昭和24年)7月31日 - 新制大学長崎大学が発足。長崎師範学校は学芸学部の母体として長崎大学に包括される。 *男子部 - 「長崎大学長崎師範学校第一附属小学校」に改称。 *女子部 - 「長崎大学長崎師範学校第二附属小学校」に改称。 *1950年(昭和25年)4月1日 - 長崎師範学校の廃止を1年後に控え、校名を改称。 *男子部 -「長崎大学学芸学部第一附属小学校」に改称。 *女子部 -「長崎大学学芸学部第二附属小学校」と改称。 *1951年(昭和26年)4月1日 - 長崎師範学校(男子部・女子部)の廃止に伴い、第一附属小学校と第二附属小学校を統合し、「長崎大学学芸学部附属小学校」と改称。 *1952年(昭和27年)6月10日 - 大村市下久原に移転を完了し、附属中学校と同居。 *1954年(昭和29年) *3月31日 - 長崎大学学芸学部の長崎市移転に伴い、大村の附属小学校は閉校となる。児童は大村市立大村小学校に収容される。 *4月12日 - 長崎市大橋町(現・文教町)に移転し、附属中学校と同居する。 *1955年(昭和30年)4月8日 - 昭和町の長崎市立西浦上小学校跡(現在地)に移転し、附属中学校と同居。 *1966年(昭和41年)4月1日 - 学部名改称に伴い、「長崎大学教育学部附属小学校」(現校名)となる。特殊学級を設置。 *1971年(昭和46年)3月31日 - 特殊学級が廃止される。同年4月1日に長崎大学教育学部附属養護学校が開校。 *2004年(平成16年)4月1日 - 国立大学法人化。1・2年の複式学級を導入。 *2005年(平成17年)4月1日 - 3・4年の複式学級を導入。 *2006年(平成18年)4月1日 - 5・6年の複式学級を導入。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長崎大学教育学部附属小学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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