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長崎 玄弥(ながさき げんや、1927年11月5日 - )は、日本の英語教育者。神奈川県鎌倉生まれ。東京高等歯科医学校(現 東京医科歯科大学)中退。青山学院大学中退、再入学、再中退。広告代理店J・W・トンプソン翻訳部長や、東京大学教養学部講師、トフルゼミナール英語教育研究所所長、巌丈志摩予備校など各種予備校講師、株式会社アルクのヒアリング・マラソンのコーチなどを務めた。著書は『奇跡』シリーズが有名。 == 生涯 == 旧制中学に入学してしばらくは英語が苦手だったが、あるとき I can speak English very little. という表現を覚え、電車の中で外国人に話しかけられたときにその表現を使い、同級生に英語ができると思われる。しかし後日再び外国人に話しかけられたときに I can speak English very little. としか言えないのを同級生に見られ、学校中の笑いものとなる。何とか見返そうと、文法も長文もわからないため単語の暗記を始める。その覚え方は、たとえば needle という単語を覚える場合、needle というと尖ったもののような気がするまで百回ぐらい発音するというもの。これは早世した父親に毎週お経をあげに来た僧侶から仮名付きのお経をもらい、音読すれば45分ほどかかるそのお経を1年ほどで暗記した経験に基づくという。旧制中学の3~5年は教科書を教室にわざと持っていかず、「教科書のいらない男」とあだ名をつけられた。 東京高等歯科医学校を受験する際、短期間で英単語数を合格水準にもっていくため、受験英単語集を何十回も通して見る。この際に無理やり覚えた単語は合格するとすぐに半分ほどは忘れてしまったが、受験本番では知らない英単語は一語もなかったという。苦手な数学は白紙で提出したものの得意の作文で点を稼いだこともあり合格。しかし医学校では歯に見立てた石膏がうまく削れず、そのことを教師に非難され、英語に関心が移っていたこともあり中退。青山学院大学に入学する。映画館に弁当を持ち込み1日中こもり、また進駐軍に話しかけ口語表現を集める、友人から月賦で買った小型木製キャビネットのラジオでFEN(現AFN)を聴くなどする。古本屋で進駐軍が売ったペーパーバックを買い集め、ペーパーバックを開かない日は一日もなかったという。このペーパーバックの濫読で膨大なスラングを覚えた。大学での成績は良好であったが、自分は英単語を知っているだけで、そんなのにだまされてはいけないと考え、再び中退し英会話学校などで教える。自分の生徒たちが大学を受験するのを見て再び青山学院大学を受験。開学以来最高の点数で合格し、再入学。かつての同級生は4年生になっており、教授に4年生にならないかと言われるも1年生からやり直す。しかし、こんなところにいたらバカになると考え再中退。 長崎が39歳のある日、ジャパンタイムズを読んでいた夫人が High Class Translator Wanted. という求人を見つけ、「あなた、これ行かない?もういいかげんにしてよ」と言った。それまで定職に就いたことがなかった長崎はこの求人に応募した。求人主はアメリカの広告会社のトンプソン。試験会場では和文英訳・英文和訳の問題のうち2問だけ選択すればいいのを誤解して全問題に解答し合格。しかし給料が良くなかったため、5月に入社し11月に退社。そこでリンガフォンに入社するもリンガフォンの日本代表とけんかして退社。トンプソンに再入社。同僚の署名活動のおかげもあり、退社したリンガフォンとも関係は保った。トンプソンは14年間勤めたあと、病を得て退職した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長崎玄弥」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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