|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 長 : [おさ] 【名詞】 1. chief 2. head ・ 崎 : [みさき] (n) cape (on coast) ・ 吾 : [われ] 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego
長崎 省吾(ながさき しょうご、1850年(嘉永3年) - 1937年(昭和12年)2月6日〔『官報』第3029号「彙報 官吏薨去」1937年2月9日。〕)は、日本の官僚。宮中顧問官。 == 経歴 == * 1850年(嘉永3年)〔1852年12月22日(嘉永5年11月12日)とも(長崎省吾関係文書 国立国会図書館リサーチ・ナビ )。〕 - 薩摩藩士・長崎作右衛門の六男として生まれる。 * 造士館、昌平黌で学び、外務省に入省。その後、アメリカ合衆国に留学してミシガン大学を卒業し、イギリスにも渡航する。 * 1880年(明治13年) - 帰国し、宮内省に入省、宮内書記官となる。後に式部官、宮内大臣秘書を歴任。 * 1887年(明治20年)12月13日 - ドイツ帝国皇族フレデリック・レオポール親王来航に付き接待掛〔『官報』第1115号「叙任及辞令」1887年3月23日。〕 * 1888年(明治21年)3月8日 - 兼任 式部主事、奏任官二等、中級俸下賜〔『官報』第1405号「叙任及辞令」1888年3月9日。〕 * 1889年(明治22年)2月13日 - 故 文部大臣森有礼贈位賜金幣勅使〔『官報』第1686号「叙任及辞令」1889年2月15日。〕 * 3月16日 - 賜上級俸〔『官報』第1712号「叙任及辞令」1889年3月18日。〕 * 7月23日 - 任 宮内大臣秘書官 兼 式部官、叙奏任官二等、賜二級俸、宮内書記官事務補助〔『官報』第1821号「叙任及辞令」1889年7月25日。〕 * 10月4日 - 京都行幸供奉〔『官報』第1885号「叙任及辞令」1889年10月9日。〕 * 1891年(明治24年)5月13日 - 京都行幸供奉〔『官報』第2363号「叙任及辞令」1891年5月19日。〕 * 10月22日 - 宮内次官花房義質神奈川県下行幸供奉随行〔『官報』第2497号「叙任及辞令」1891年10月24日。〕 * 1893年(明治26年)3月28日 - 免兼勤 式部職事務〔『官報』第2921号「叙任及辞令」1893年3月29日。〕 * 4月13日 - 第四回内国勧業博覧会事務官〔『官報』第2934号「叙任及辞令」1893年4月14日。〕 * 6月23日 - 東伏見宮依仁親王 欧米へ差遣に付随行〔『官報』第2995号「叙任及辞令」1893年6月24日。〕 * 1895年(明治28年) * 3月19日 - 叙二等〔『官報』第3516号「叙任及辞令」1895年3月23日。〕 * 6月27日 - 免 小松宮家令〔『官報』第3598号「叙任及辞令」1895年6月28日。〕 * 7月5日 - 京都本局出張所へ出張〔『官報』第3606号「叙任及辞令」1895年7月8日。〕 * 10月21日 - 井上馨朝鮮国へ被差随候ニ付随行被仰付〔『官報』第3697号「叙任及辞令」1895年10月24日。〕 * 1897年(明治30年)9月 - 調度局長 * 12月28日 - 故従一位公爵島津忠義葬儀掛、鹿児島出張〔『官報』第4349号・号外「辞令」1897年12月28日。〕 * 1898年(明治31年)2月23日 - 内匠頭股野琢不在中代理〔『官報』第4391号「叙任及辞令」1898年2月24日。〕 * 1899年(明治32年)6月22日 - ドイツ帝国ハインリッヒ親王来航に付き接伴員〔『官報』第4792号「叙任及辞令」1899年6月23日。〕 * 1900年(明治33年)4月24日 - 兵庫県下行幸供奉、兵庫県下行幸会計主務官〔『官報』第5041号「叙任及辞令」1900年4月25日。〕 * 1901年(明治34年)11月3日 - 宮城県下行幸供奉、宮城県下行幸会計主務官〔『官報』第5503号「叙任及辞令」1901年11月5日。〕 * 1904年(明治37年)2月16日 - 兼任 宮中顧問官、叙一等〔『官報』第6185号「叙任及辞令」1904年2月17日。〕 * 1905年(明治38年)7月22日 - アメリカ合衆国来賓接伴員〔『官報』第6619号「叙任及辞令」1905年7月24日。〕 * 1906年(明治39年)11月19日 - 伏見宮貞愛親王 イギリスへ差遣に付随行〔『官報』第7019号「叙任及辞令」1906年11月20日。〕 * 1907年(明治40年)11月12日 - 茨城県下行幸供奉〔『官報』第7314号「辞令」1907年11月13日。〕 * 1908年(明治41年)6月23日 - 依願免 宮内大臣秘書官、賜一級俸〔『官報』第7497号「叙任及辞令」1908年6月24日。〕 * 1910年(明治43年)9月28日 - 清国皇族載洵来航に付き接伴員〔『官報』第8183号「叙任及辞令」1910年9月29日。〕 * 12月10日 - 兼任 別当、叙 高等官二等〔『官報』第8243号「叙任及辞令」1910年12月12日。〕 * 1911年(明治44年)11月4日 - 福岡県下行幸供奉〔『官報』第8514号「叙任及辞令」1911年11月6日。〕 * 1937年(昭和12年)2月6日 - 薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長崎省吾」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|