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長崎絵(ながさきえ)は、江戸時代から明治時代にかけて描かれた浮世絵の様式のひとつである。長崎版画ともいわれる。 == 歴史と特色 == 幕末の鎖国時代に、唯一開港されていた長崎出島のオランダ人、中国人などの外国人の風俗や港の風景を描いた浮世絵約500点を指す。大半が、長崎にある版元から出版された。当時、オランダ人は出島屋敷に、中国人は唐人屋敷にのみ住んでいたので、主として唐絵目利きをしている絵師がオランダ人の実生活を知っており、室内の有様、食卓上の物まで写すことができたのであった。 長崎絵は、長い年月にわたって出版されたため版画の形式も様々あり、墨摺絵、漆絵、藍絵、錦絵などに分類される。江戸の版画・錦絵においては、ある程度、規定の寸法が存在していたが、長崎絵に関してはその大きさは不規則で、かなり大きなサイズのものもあった。また、版画の材料についても、使用する紙は粗悪なもので、色も江戸絵のように美しい色彩は使用せず、茶色、藍色、紅色、墨色などをもって描かれている。 江戸の浮世絵と異なる点に、中国版画や西洋画から影響を強く受けた独特の雰囲気を持つことが挙げられる。逆に、江戸からの影響は殆ど見られない。延享(1744年-1748年)頃に始まり、明治時代まで続いた。主な絵師として川原慶賀が挙げられるが、彼以外の作品は、落款などがないため、作者不詳の場合が多く見られる。他に、版画において名前が判明する絵師として、敲月館(こうげつかん)、磯野文斎、整恩らが挙げられる。また、肉筆画を描いた絵師として前述の川原慶賀のほか、慶賀の子、田口廬谷、城義隣、西苦楽、松井元仲らがいる。 これら長崎版画を版行した版元として大和屋(磯野文斎)、針屋、豊島屋、文錦堂、益永、牛深屋、梅香堂、文松堂、紫雲堂、耕寿堂、鄰華堂、中村惣三郎などが挙げられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長崎絵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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