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長慶天皇(ちょうけいてんのう)は、南北朝時代の第98代天皇にして、南朝の第3代天皇(在位:正平23年/応安元年(1368年) 3月〔鴨脚本『皇代記』によるが、日付を欠くため、3月11日の後村上天皇崩御を受けたものか、あるいは先だって行われた譲位を受けたものか、確認しがたい。〕 - 弘和3年/永徳3年(1383年)冬)。諱は寛成(ゆたなり)。 南朝関係史料の少なさから、近世以来諸家の間で天皇の在位・非在位をめぐる議論があり、明治44年(1911年)3月に明治天皇が南朝を正統とする勅裁を下した際も在位認定されないままであったが、大正時代に入って、八代国治・武田祐吉の実証的研究が決定的な在位説として評価される。これを受けて宮内省の調査が行われ、大正15年(1926年)10月21日に皇統加列についての詔書発布があり、ここにようやく長慶天皇の在位の事実が公認されるに至った。 == 系譜 == 後村上天皇の第一皇子で、母は二条師基の猶子・嘉喜門院(三位局)である。 * 中宮:藤原氏 - 西園寺公重女 * 皇子:行悟(1377-1406) - 円満院門跡 * 女御:某氏教子 - 父不詳 * 皇子:世泰親王(?-?) - 南朝系図に後亀山天皇皇子とするのは誤り * 生母不詳 * 皇子:海門承朝(憲明、1374頃-1443) - 南禅寺住持 * 皇子:尊聖(佐山宮、1376-1432) - 勧修寺長吏。猶子説あり〔『勧修寺長吏次第』〕 * 皇子:某(玉川宮、?-?) - 玉川宮家 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長慶天皇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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