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長松 幹(ながまつ つかさ〔『平成新修旧華族家系大成』下巻、243頁。〕 / みき〔『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』329-332頁。〕、1834年2月9日(天保5年1月1日〔)- 1903年(明治36年)7月16日〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』148頁。〕)は、幕末の長州藩士、明治期の歴史学者・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、男爵、錦鶏間祗候。諱・文仲、字・子固〔『明治維新人名辞典』706頁。〕。通称・大蔵、文助、文輔〔。号・秋琴〔。 ==経歴== 周防国吉敷郡矢原村(現山口市矢原)で医者・長松玄厚の長男として生まれる〔。大田稲香の指導を受け〔、嘉永6年(1853年)京都に遊学し、山本読書室に入り山本亡羊から本草学を学ぶ〔『忘れられた植物学者』12-13頁。〕。安政5年(1858年)以降、久坂玄瑞らと国事に奔走〔〔『幕末維新大人名事典』下巻、207-208頁。〕。元治元年(1864年)帰藩し右筆に登用され、その後、儒役雇、雇医員を経て、編輯局で尊王事績の編集に従事〔。鴻城隊に加わり、戊辰戦争中は軍中日誌を担当した〔『明治過去帳』687-688頁。〕。 明治維新後、新政府に出仕し、慶応4年閏4月23日(1868年6月13日)御雇・議政官史官試補となる〔。以後、徴士・議政官史官、行政官史官、太政官大史、同少弁、函館軍功賞典取調掛、太政官六等出仕、同五等出仕、同正院歴史課長、修史局長、一等修撰兼修史局長、一等編修官、修史館監事などを歴任し〔、『復古記』『明治史要』の編纂に従事〔〔〔。 1884年9月4日、元老院議官に就任〔。1888年2月17日、高等法院予備裁判官を仰せ付けられた〔。1890年10月20日、元老院が廃止され非職となり錦鶏間祗候を仰せ付けられた〔。1891年4月21日、非職元元老院議官を依願免本官となる〔『官報』第2340号、明治24年4月22日。〕。同年4月15日、貴族院勅選議員に任じられ〔『官報』第2335号、明治24年4月16日。〕、死去するまで在任した〔。 1896年6月5日、その功績により男爵を叙爵した〔『官報』第3880号、明治29年6月6日。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長松幹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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