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長沢 芦洲(ながさわ ろしゅう、明和4年(1767年) - 弘化4年10月29日(1847年12月6日))は、日本の江戸時代後期に活躍した円山派の絵師。長沢芦雪の弟子で、義子。名を鱗、字は呑江、別号に芦舟、南暁。 == 略伝 == 丹波国国領(現在の兵庫県丹波市春日町国領)、または姫路市木場の出身と伝えられる。姓は上田と言われるが定かでない。妻は、京都・淀の福富家出身。 花山院家の家臣だったという証言があり〔『東洋美術大観』の芦雪筆「孔雀図」(現静岡県立美術館蔵)の解説にある芦洲伝記中の、四条派絵師・竹川友広の談。〕、実際文化7年(1810年)芦洲が催した芦雪十三回忌追薦書画展の出品目録(東京都立中央図書館蔵)冒頭には、花山院家厚が絵を描き、その父・愛徳が賛をした「梅図」を載せている。続いて錦小路頼理、小倉豊季、勘解由小路資善、豊岡治資、日野資愛、船橋師賢、岩倉家具ら7名の公家作品が並び、芦洲と花山院家ならびに他の公家たちとの繋がりを窺わせる。 『平安人物志』では、文化10年(1813年)、文政5年(1822年)、同13年(1830年)、天保9年(1838年)版に登場、住所はいずれも柳馬場四条上。弘化(こうか)4年10月29日死去。享年81。墓は長沢家の菩提寺である上京区の回向院。跡は息子の長沢芦鳳が継いだ。他の弟子に、無款の作品は芦洲の作品と間違われたという足立芦月がいる。画風は人物、花鳥画を良くし、芦雪譲りの画法は受け継ぎつつも穏やかにまとめている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長沢芦洲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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