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長源院(ちょうげんいん)は、静岡県静岡市葵区沓谷にある、曹洞宗の寺院。山号は大森山(だいしんざん)。大森山長源院は、茨城県笠間市箱田にある国見山鳳台院の末寺である。開山の覚山見知和尚は1523年(大永3年)正月16日に示寂したが、その後、長源院には代々高徳の僧が在住して寺門が栄え、新たな寺を建立して開祖となり、末寺も多く全国二十数ケ寺に及んだ。 == 概要 == 長源院が創立されたのは戦国時代の初期、後土御門天皇の御代で、1488年(長享2年)である。この頃駿府(今の静岡)を治めていたのは今川氏で、六代目の義忠が戦死した後、家督争いが続き、丸子に乱を避けていた氏親が駿府に迎えられ、七代目の主となったのはその前年のことであった。長源院のある辺りは人家とてなく、一面真菰の生えた沼で、後の山には、古木が生い茂り、蓮永寺や元長寺もまだ建てられず、近くには善長院という禅寺が荒れ果ててあったのみである。長源院の開山は覚山見知和尚と呼ぶ高徳の師で、氏親の重臣朝比奈一族は深く帰依し、谷津山山麓の所領をすべて寄進して長源院を建立、師を開山としました。この朝比奈氏は、安倍川と藁科川を合流させ、駿府の城下町を整備した朝比奈泰以とされています。覚山見知和尚は日頃信仰していた子(ね)の神の示現に深く感じて、寺の鎮守に富士浅間、白山妙理大権現とともに毘沙門天王万福子聖大権現を祀り、あつく尊敬した〔村松圭三著『大森山 長源院誌』北堀昌雄発行、1993年(平成5年)8月、24~27頁「大森山長源院の由来」。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長源院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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