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長船 克巳(おさふね かつみ、1897年(明治30年)6月〔『人事興信録』第14版 上、オ257頁。〕 - 1974年(昭和49年)〔岡山県瀬戸内市長船町長船の観音山墓地内にある墓地・墓誌による。〕)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。「克己」と表記される場合がある。 ==経歴== 岡山県邑久郡行幸村長船(現在の瀬戸内市)出身〔『岡山県行幸記念誌』人物編 p40〕。長船春太郎の長男として生まれる〔。第六高等学校(現・岡山大学)を卒業。1921年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1922年、東京帝国大学法学部(現・東京大学)政治学科を卒業。内務省に入省し北海道庁属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』230頁。〕。 以後、北海道庁理事官(商工課長兼工場課長)、石川県庶務課長、兵庫県農務課長〔、鹿児島県学務部長、長野県学務部長、和歌山県書記官・警察部長、熊本県書記官・警察部長、愛媛県総務部長、静岡県書記官・総務部長などを歴任〔〔『新編日本の歴代知事』1093頁。〕。 1941年1月7日、宮崎県知事に就任。戦時時体制の整備に尽力〔。1943年7月8日、秋田県知事へ転任。戦争遂行の体制整備に尽力。東條内閣の退陣により、1944年8月1日、依願免本官となり退官した〔『新編日本の歴代知事』181頁。〕〔『官報』第5265号、昭和19年8月2日。〕。 第二次世界大戦終了後、公職追放となる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長船克巳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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