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長谷川戌吉 : ミニ英和和英辞書
長谷川戌吉[はせがわ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 
谷川 : [たにがわ]
 【名詞】 1. mountain stream 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [いぬ]
 (n) eleventh sign of Chinese zodiac (The Dog, 7p.m.-9p.m., west-northwest, September)

長谷川戌吉 ( リダイレクト:長谷川戍吉 ) : ウィキペディア日本語版
長谷川戍吉[はせがわ じゅきち]

長谷川 戍吉(はせがわ じゅきち〔『日露戦争兵器・人物事典』原剛「長谷川戍吉」〕、1868年7月7日慶応4年5月18日) - 1907年明治40年)1月21日)は、日本の陸軍軍人日露戦争において騎兵挺進隊隊長を務めた、いわゆる長谷川挺進隊の指揮官である。戦後旧部下の不祥事が原因で自決した。最終階級は陸軍騎兵少佐。〔*>原剛は階級を中佐としている。名前について『日本騎兵八十年史』では「長谷川茂吉」、『陸軍騎兵少佐長谷川戌吉傅』、『斗南藩こぼれ草』では「長谷川戌吉」としている。〕
==生涯==

===生誕から上京===
父は会津藩藩士長谷川信吉である。信吉は禄高十三石四人扶持〔*>『斗南藩こぼれ草』では十四石四人扶持。〕の武具役所勤めであった。長谷川が誕生した際、すでに長兄の丑吉が白河の戦いで討死しており、長谷川が跡を継いだ。戦後に斗南藩三戸郡門前村に移住したが、1873年(明治6年)に 会津本郷に戻った。陶芸家の弟子となり、旧藩校日新館を再興した私立日新館(現会津高校)に進むが退校。単独で上京し山川浩家の家僕となる〔『陸軍騎兵少佐長谷川戌吉傅』〕。長谷川は旧藩主松平容大としばしば行を共にした〔『陸軍騎兵少佐長谷川戌吉傅 (続)』〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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