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長谷川 映太郎(はせがわ えいたろう、1911年3月8日 - 1995年1月23日)は、日本の実業家、編集者である〔合祀者名簿 、日本出版クラブ、2012年6月27日閲覧。〕〔''長谷川映太郎''、国立国会図書館、2012年6月27日閲覧。〕〔長谷川映太郎 、日外アソシエーツ、2012年6月27日閲覧。〕。鎌倉書房の創業社長であり、同社会長、ドレスメーカー女学院(現在のドレスメーカー学院)理事長、日本雑誌協会常務理事、日本出版クラブ評議員、鎌倉ばら会名誉幹事を歴任した〔〔〔鎌倉バラ会年代記 、鎌倉ばら会、2012年6月27日閲覧。〕。洋裁雑誌『ドレスメーキング』、婦人雑誌『マダム』の編集・発行人として知られる〔ドレスメーキング 、国立国会図書館、2012年6月27日閲覧。〕〔マダム 、国立国会図書館、2012年6月27日閲覧。〕〔マダム 、国立情報学研究所、2012年6月27日閲覧。〕。 == 人物・来歴 == 1911年(明治44年)3月8日に生まれる〔〔。同志社に学ぶ〔同志社時報第24号 1967.2 、学校法人同志社、2012年6月27日閲覧。〕。 1941年(昭和16年)9月15日、現在の東京都千代田区神田多町に「株式会社鎌倉書房」を創立する〔〔岩波、p.221 .〕。第二次世界大戦終結後の1948年(昭和23年)7月31日、杉野芳子の寄付により発足した「財団法人杉野学園」(現在の学校法人杉野学園)の理事に就任する〔学校法人杉野学園寄付行為 、学校法人杉野学園、2012年6月27日閲覧。〕。1949年(昭和24年)5月1日、鎌倉書房から雑誌『ドレスメーキング』を創刊、発行人となる〔。 1953年(昭和28年)11月、鎌倉書房本社を新宿区市谷左内町に移転した。同年、自宅のある鎌倉市稲村ガ崎で、発起人として「鎌倉パラの会」(現在の「鎌倉ばら会」)設立に参加、10人の世話人に名を連ねる〔。1961年(昭和36年)11月、第17回秋季バラ展示会にあたって、「鎌倉パラの会」独自のティー・スプーンをデザインし、現在に至るまで同会で使用している〔。1964年(昭和39年)6月、最後発の婦人雑誌として『マダム』を創刊、発行人となる〔〔。 1993年(平成5年)5月、同月発売した通巻565号をもって雑誌『ドレスメーキング』を休刊する〔。 1995年(平成7年)1月23日、死去した〔〔。満83歳没。同時期、鎌倉書房は破産・解散、同社の出版物である『マダム』等の雑誌もすべて休刊している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長谷川映太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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