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長谷川 裕見子(はせがわ ゆみこ、1924年12月8日 - 2010年7月27日)は、日本の女優。俳優・船越英二との結婚後の本名は船越 琴子(ふなこし ことこ)。 == 来歴・人物 == 東京都出身。1924年飯島まつの二女として生まれる。旧制・白百合高等女学校(現・白百合女子大学)を卒業した。祖父・飯島次郎は建設業で名をなした。 長谷川一夫の姪〔長谷川一夫の後妻・繁の次姉まつが裕見子の母。2013年2月4日NHK総合ファミリーヒストリーによる。〕にあたり、長谷川が主宰した劇団・映画会社新演伎座に所属した。映画デビュー作は長谷川主演、大曾根辰夫監督の「遊侠の群れ」(1948年)〔#外部リンク、「長谷川裕見子」、日本映画データベース、2009年11月18日閲覧。〕〔「映画渡世・地の巻 - マキノ雅弘自伝」には「傷だらけの男」でデビューとあるが誤りである。「映画渡世・地の巻 - マキノ雅弘自伝」、マキノ雅弘、平凡社、1977年、p.225.〕。 1950年代から1960年代にかけて、東映の時代劇映画を中心に活躍した。 1958年1月13日、第2回日本映画見本市に出席のため、城戸四郎(松竹社長)、白川由美、宇治みさ子らと共にアメリカ合衆国のニューヨークへ出発。同年2月8日、日本に帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、大変貴重なニューヨーク訪問となった。 同年、俳優・船越英二と結婚。長男は俳優の船越英一郎。 女優としての最後の出演作品は、親友であった石井ふく子プロデュースによる東芝日曜劇場「一つだけのいのち」(1974年10月20日放送)。 その後は神奈川県足柄下郡湯河原町で長女(英一郎の妹)とともに旅館を経営していた。長女には先立たれてしまった。 2010年7月27日午前4時44分、転移性肺癌のため湯河原町の病院で死去。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長谷川裕見子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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