|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 長 : [おさ] 【名詞】 1. chief 2. head ・ 谷川 : [たにがわ] 【名詞】 1. mountain stream ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 雄 : [おす] 【名詞】 1. male (animal)
長谷川 貞雄(はせがわ さだお、弘化2年5月20日(1845年6月24日) - 明治38年(1905年)2月8日)は、日本の海軍軍人、主計総監。貴族院勅選議員。 == 人物 == 遠江国豊田郡川袋村(現在の静岡県磐田市)に中村貞則の子として生まれ、父の実家の長谷川家を継いだ。志士と交わって報国隊を組織し、戊辰戦争の際には有栖川宮熾仁親王の東征軍に加わり、函館戦争で功績をあげた。その後、兵部省会計権佑となり、会計権少祐、会計少祐、会計権大佑、兵部大録と昇進を重ねた。さらに海軍省では主計大監となり、主船局長、会計局副長、統計課長、会計局長、調度局長、主計本部長、海軍主計学舎長、会計局次長を歴任した。1889年(明治22年)には海軍主計総監・会計局長に任じられた。海軍省第3局長であった1891年(明治24年)4月に予備役に編入され〔『官報』第2336号、明治24年4月17日。〕、貴族院議員に勅選された〔『官報』第2335号、明治24年4月16日。〕。 晩年は浜松市に居住し、西遠地方の公共事業に尽力した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長谷川貞雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|