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長谷川 龍雄(はせがわ たつお、1916年2月8日 - 2008年4月29日)は日本の技術者。 == 経歴 == 鳥取県鳥取市出身。1939年に東京帝国大学航空学科を卒業後、立川飛行機に入社。キ94の設計主務などを務める。キ94の翼型は「TH翼」という層流翼で、長谷川の研究の応用である(THは長谷川のイニシャル)〔日本航空宇宙学会誌1982年12月号に「TH翼(後縁半径をもつ翼型)について」として解説がある( http://ci.nii.ac.jp/naid/40002904458 )。戦後、アメリカが亜音速機に関連する特許を広範に国際的に押さえに来た際に、これを戦前に発表した文献が防御のために活用されたという(前間孝則『マン・マシンの昭和伝説』上巻、文庫版 pp. 390-393)。〕。終戦に伴い、1946年にトヨタ自動車工業(現在のトヨタ自動車)に入社。初代トヨエースの主査〔 主任設計者、といったような役割だが、設計や生産などの現場からは独立して責任者・リーダーとなる。トヨタ独特のマネジメント方式ともされる。〕を皮切りに、初代パブリカ、トヨタスポーツ800、初代カローラの主査を歴任した。1967年に取締役製品企画室副室長に就任、その傍ら初代セリカ・カリーナの開発主査を務める。またそういった量産車以外にもFRP製のスポーティな試作車23A(1956年)〔 日本初のプロトタイプレーシングカーとされるR380よりも10年近く前である。〕なども設計している。1972年に常務に就任、1978年から1982年まで専務取締役を経て退任。2004年に日本自動車殿堂入りを果たす。 2008年4月29日に老衰のため神奈川県横浜市の病院にて逝去。92歳(享年93)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長谷川龍雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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