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長谷部 辰連(はせべ たつつら / ときつら、1844年(天保15年5月)- 1910年(明治43年)6月12日)は、幕末の福井藩士、明治期の官僚・政治家。官選山形県知事、元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候。 == 経歴 == 福井藩士・長谷部恕連の長男として生まれる。 明治5年(1872年)、政府の会計事務局に出仕。以後、箱館裁判所民政掛監察兼外国掛、徴士箱館産物取締御用、開拓使御用掛、開拓権判官、開拓少判官、開拓中判官などを歴任。1873年9月より樺太支庁に在勤。樺太・千島交換条約の実施のため、1875年8月、理事官に就任した。その後、工業局長、開拓大書記官、兼石狩河口改良事務長などを務める。 1886年2月、開拓使廃止に伴い工部大書記官に就任。以後、札幌工業管理局長、農商務省大書記官、札幌工業事務所長などを歴任。 1886年1月、元老院議官に就任。1889年12月、山形県知事に登用され、1894年1月まで在任。1897年12月28日、錦鶏間祗候を仰せ付けられる〔『官報』第4350号、明治31年1月4日。〕。1905年1月29日、貴族院勅選議員に任じられ〔『官報』第6474号、明治38年2月1日。〕、死去するまで在任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長谷部辰連」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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