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長野 宇平治(ながの うへいじ、慶応3年9月1日(1867年9月28日) - 昭和12年(1937年)12月14日)は、日本の建築家。日本建築士会初代会長。辰野金吾の弟子として知られ、数々の銀行建築を残した。越後国高田(現:新潟県上越市)生まれ。 == 概要 == 初期には和洋折衷意匠の奈良県庁舎等を設計し評価を得た。明治30年(1897年)日本銀行技師となり、辰野金吾工事顧問の指導下で、大阪・京都・小樽各支店等の明治期支店建築9件の設計監理に従事した。明治42年(1909年)日本初のコンペとなる台湾総督府庁舎設計競技に当選した後、大正元年日銀を辞し台湾総督府嘱託を一時務めるとともに、大正2年(1913年)自営の設計事務所を開設し、日銀岡山支店や大倉精神文化研究所等の古典主義様式の建築を設計した。また大正6年(1917年)には日本建築士会(後の日本建築家協会)初代会長となり、建築家の職能確立のために建築士法の制定をめざした。昭和2年(1927年)日銀本店修増築のために臨時建築部が設けられると再び日銀技師長となり、本店修増築・広島・松江各支店等の昭和期本支店建築4件を設計監理した。昭和13年(1938年)本店増築工事竣工を目前にした昭和12年暮れに死去した。 長野宇平治が手がけた戦前の日銀本支店建築は、大正12年(1923年)関東大震災で被災した本店本館を恩師辰野の設計通りに修理保存したのを含めると、明治時代のものが4件、大正時代のものが1件、昭和時代のものが3件、計8件が現存する。また日銀以外の銀行建築も、明治・昭和の前後2回の日銀時代、及び大正年間の設計事務所時代を通じて設計しており、現存するものもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長野宇平治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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