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長野県の県道一覧(ながのけんのけんどういちらん)は、長野県を通る県道の一覧である。 == 歴史 == 長野県道が正式に定められたのは1919年(大正8年)の旧道路法に基づき1920年(大正9年)に認定された府県道57路線〔大正9年長野県告示第124号〕が最初である。その後も路線の追加認定や改廃が行われているが、長野大町線や長野停車場線といった区間の変更があったものの現在でもそのまま残存する県道も存在する。1959年(昭和34年)8月1日には路線が大きく見直され〔ただし告示は9月25日〕、1952年(昭和27年)の新道路法に基づいて認定された路線以外のほとんどである335路線がその時に廃止され〔昭和34年長野県告示第487号〕、新規に286路線の県道が認定された〔昭和34年長野県告示第486号〕。現在の県道の半数近くは、この時に認定された路線であるが、前記の長野大町線などは、この1959年(昭和34年)の改廃を免れた路線である。 長野県道は、大正 - 昭和20年代までの認定告示の際、すべての路線が「一、○○線」と表記されていたが、1953年(昭和28年)の認定時から整理番号が明記されるようになった。1959年(昭和34年)認定の路線は改めて整理番号が割り当てられたが、その順番はおおよそ北信、北南安曇、東信北部、中信(松本周辺)、南佐久、諏訪、上伊那、西筑摩(現在の木曽)、下伊那と、北から順にというものであった。その後1962年(昭和47年)から1963年(昭和48年)〔正確な期日は不明。番号の順列から、1962年(昭和47年)9月11日の路線認定から1963年(昭和48年)7月23日の路線認定までの期間であると推察される〕に路線番号が導入されたが、一般県道の路線番号は整理番号の順番とは異なり、東信、南信、中信、北信の順に番号が割り当てられた。ただし、100番台の最初は県境越の路線が優先的に割り当てられている。 主要地方道の路線番号については、1993年(平成5年)の主要地方道の新たな指定を受けて、1994年(平成6年)4月1日に隣県と路線番号を一致させるため路線番号の変更が行われている。この際に変更になった路線として中津川山口線(72番→6番)、高根富士見線(7番→11番)、飯山斑尾新井線(69番→97番)などがある。 平成の大合併により多くの自治体が消滅し、路線名をその合併に則して変更する都道府県も多いが、長野県道は千曲建設事務所に関連する県道および越県路線以外では基本的に路線名の変更を行っていない。例えば越県路線であった「東部嬬恋線」は「東御嬬恋線」に改められたが、「真田東部線」は路線名の変更がされていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長野県の県道一覧」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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