翻訳と辞書
Words near each other
・ 門下生
・ 門下省
・ 門並み
・ 門中
・ 門主
・ 門之園恵美
・ 門井亜矢
・ 門井佐登美
・ 門井八郎
・ 門井慶喜
門井掬水
・ 門井肇
・ 門人
・ 門付
・ 門付け
・ 門付芸
・ 門付芸人
・ 門仲
・ 門倉亜美
・ 門倉俊雄


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

門井掬水 : ミニ英和和英辞書
門井掬水[かどい きくすい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 
: [い]
 【名詞】 1. well 

門井掬水 : ウィキペディア日本語版
門井掬水[かどい きくすい]
門井 掬水(かどい きくすい、明治19年(1886年11月20日 - 昭和51年(1976年5月1日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本画家
== 来歴 ==
鏑木清方の門人。本名は英。明治19年(1886年)、茨城県鹿島郡大洋村(現・鉾田市札)に生れる。本名英。上京した両親が湯島で八百屋を営み鏑木清方宅に出入りしたのが縁で、明治29年(1896年)に湯島切通に住んでいた清方から画業を教わる。明治30年(1897年)に正式に入門、まだ湯島小学校の小学生の時で、清方の最初の門人であった。清方は当時挿絵を描いていた。明治33年(1900年)、連合絵画共進会に「燈下読書」を出品、三等褒状を得ている。
明治34年(1901年)に清方、山中古洞都築真琴鰭崎英朋ら青年挿絵画家によって烏合会が結成されると、明治39年(1906年)の第13回烏合会展に「卯月花紅葉」、「露のたより」を出品、これ以降、同年10月の第14回烏合会展に「蓮花舟」を出品、明治41年(1908年)の第17回展に「山崎与次兵衛」を、明治43年(1910年)の第21回展に「河風」を、明治44年(1911年)の第22回展に「雪娘」を、明治45年(1912年)5月の第23回展に「お手伝い」をというように出品を重ねている。また、この間、明治41年(1908年)の第6回美術研精会展に「蓮花舟」を、明治43年(1910年)の第10回巽画会展に「蘭湯」を出品、第11回の巽画会展に出品した「むろの花」が褒状一等を得た。
大正3年(1914年)の東京大正博覧会に「雑司ヶ谷の夕」を出品、翌大正4年(1915年)に清方門下により結成された郷土会の運営に力を尽くし、同年に開催された第1回郷土会の展覧会から昭和6年(1931年)開催の第16回展まで、ほぼ毎回のように作品を出品していた。大正5年(1916年)の第2回郷土会展に「春日野」を、翌大正6年(1917年)の第3回展に「二番目頃」を出品などしている。さらに、大正10年(1921年)に開催された第3回帝展に「芽生」が初入選、以後第7回展に「黒胡蝶」、第9回展に「傀儡子」、第10回展に「七夕」と、師にならった清麗な風俗美人画を続けて出品、清方の歩みにぴったり寄り添うような画業であった。そのほか、昭和15年(1940年)に開催された紀元二千六百年奉祝美術展には「夕浜」を出品、昭和16年(1941年)の第4回新文展に「神津島の女」、昭和17年(1942年)の第5回新文展に「和具の海女」、昭和18年(1943年)の第6回新文展に「船越の盂蘭盆(笹舟流し)」を出品、入選を続けた。また、日本画会のほか、第二次世界大戦後は日展にも作品を出品した。昭和51年(1976年)5月1日没。享年89。
門人に毛利錠佐久、川合要がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「門井掬水」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.