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開国(かいこく)とは、「鎖国」という言葉の対義語として、すなわち外国との交流を行うことを表す意味でよく用いられる。大日本帝国では、開国進取が国是とされていた。 この言葉には歴史的な用例として同時に〈建国〉、〈開拓〉などの意味もあった。また、この言葉には「鎖国」と同様に文明的に〈進んでいる/遅れている〉ことに対する眼差しも内包されており、日本が歴史書の中で、中国や朝鮮の歴史を「鎖国」/「開国」と刻印していった営為の背景には、そのような眼差しが潜んでいるという説がある。(大島明秀『「鎖国」という言説―ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史―』ミネルヴァ書房、2009年〔大島明秀 「鎖国」という言説 : ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史 The discourse of "Sakoku" : The history of receptance on manuscript "Sakoku-ron" written by Engelbert Kaemfer, translated by Tadao Shizuki 〕。大島明秀「「開国」概念の検討―言説論の視座から―」(『國文研究』第55号、2010年〔大島明秀 「開国」概念の検討―言説論の視座から 熊本県立大学日本語日本文学会 2010-04 ISSN:0914-8345 〕) == 中国の開国 == 明王朝(1368年 - 1644年)は海禁政策を行い、倭寇などによる密貿易が行われた。清朝(1616年 - 1912年)も台湾の鄭成功勢力などに対抗するために海禁政策を行ったが、清朝は明朝と違い、厳格な海禁政策は取らなかった。 特に台湾平定後は伝統的なポルトガル租借地マカオ以外に広州も開港し、外国商船の来航も認めた。このため18世紀には広州に欧米諸国の商館が設置され、広東貿易が行われた。 アヘン戦争(1840年 - 1842年)の敗北により結ばれた南京条約の締結(1842年)に続き、アロー戦争(1857年 - 1860年)、清仏戦争(1884年 - 1885年)、日清戦争(1894年 - 1895年)、義和団の乱(19世紀末 - 20世紀初頭)といった事件が起こっていき、帝国主義列強に侵略されていくことになる。イギリスに香港島を割譲、九竜・新界租借地、威海衛租借地を与え、ロシアに旅順大連租借地(後に日本が譲渡され関東州租借地)や東清鉄道利権を与え、ドイツに膠州湾租借地を、フランスに広州湾租借地を与えた他、日本に台湾を割譲した。上海に共同租界やフランス租界が設置され、半植民地となっていく。フランス租界の公園(現黄浦江沿いにある公園)に「犬と中国人入るべからず」という札が掲げられたのは、世界史における有名な逸話である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「開国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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