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間崎島(まさきじま)は三重県志摩市志摩町和具にある、英虞湾に浮かぶ島。島名は、志摩方言で暗礁と暗礁の間にある砂浜を「マ」ということから、地形にちなんだ名称であると考えられる〔中村(1951):6ページ〕。島は東西に長く、標高は18.5m〔国土地理院発行2万5千分の1地形図「浜島」上にある三角点の最高標高〕、リアス式海岸特有の複雑な海岸線をなす。湾内では賢島に次いで面積が大きい。和具から4.1km、賢島から3.0kmの位置にある〔アイランダー2012"島の情報 鳥羽・志摩諸島 "<ウェブ魚拓 >(2013年5月13日閲覧。)〕。 集落は島の南西部にあり、116人(2013年4月1日現在、住民基本台帳人口〔志摩市役所"志摩市の人口について "平成25年4月(2013年5月13日閲覧。)※行政区「間崎」の人口。 〕)が暮らす。真珠養殖とイワシ漁中心とする水産業が主な産業とする〔菅田(1995):58ページ〕。 == 歴史 == 1532年(天文元年)頃、本州の矢納村(現・志摩町和具)から4戸の農民が生活困窮のために移住したのが始まりとされる〔。当時の住民は本土の鵜方や浜島(ともに現在の志摩市)で借地を耕作をしながらイワシ漁に従事していたという(志摩町片田三蔵寺の記録による)〔。 島が歴史的転換を迎えたのは真珠養殖技術が発明されたことにある。真珠養殖は間崎島に富をもたらし、「宝石の島」と呼ばれるほど繁栄した〔。1950年代にはラジオ・テレビ・電話の普及率が日本一となり〔、21世紀初頭の現在でも、当時の好況を偲ばせる立派な住宅が立ち並ぶ〔日本の島へ行こう"間崎島(まさきじま)・横山島(よこやまじま) "<ウェブ魚拓 >2008年11月4日(2013年5月13日閲覧。)〕。1982年(昭和57年)、本土からの海底送水管が開通した〔。 養殖真珠生産高は1966年(昭和41年)を境に低下し、かつての繁栄は薄れていった〔。1990年国勢調査時は91世帯266人〔で、2013年4月1日現在66世帯116人まで減少している〔志摩市役所"志摩市の人口について "平成25年4月(2013年5月13日閲覧。)※行政区「間崎」の人口。 〕。島内にあった志摩市立和具小学校間崎分校が2006年(平成18年)3月に閉校するなど、少子化が進行している。また島民の7割が高齢者である〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「間崎島」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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