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間 章(あいだ あきら、1946年8月18日 - 1978年12月12日)は、音楽評論家。新潟県生まれ。立教大学中退。1969年よりフリー・ジャズを中心とした音楽批評活動を展開し、イベントやレコードのプロデュース活動を行った。1978年12月12日、脳出血により死去。享年32。 == 年譜 == *1946年 新潟県新潟市礎町に生まれる。 *1965年 私立新潟明訓高等学校卒業。立教大学文学部仏文科入学。在学中はバタイユ、セリーヌ、シオラン、カフカ、アントナン・アルトー、クロソウスキー、ブレヒト、ブランショ、ロートレアモンに魅せられる。 *1969年 立教大学中退。『ジャズ』誌に初のジャズ批評を発表。 *1970年 コンサート《解体的交感》をプロデュース。出演は阿部薫、高柳昌行。初のレコード・プロデュースとなる。 *1972年 ブリジット・フォンテーヌ『ラジオのように』にて初のライナーノーツを手がける。新潟市体育館で新潟現代音楽祭《自由空間》をプロデュース。この模様はNHK総合テレビジョンでドキュメンタリーとして放映される。 *1974年 渡仏、スティーブ・レイシー、デレク・ベイリーとの対話。 *1975年 企画集団「半夏舎」を設立。スティーブ・レイシー招聘。阿部薫のソロコンサート《なしくずしの死》をプロデュース。 *1977年 ミルフォード・グレイブス招聘。 *1978年 デレク・ベイリー招聘。『ロックマガジン』誌にロック批評の連載を開始。同年12月12日東京・渋谷で、脳出血にて32歳の若さで死去。 *1982年 イザラ書房より、著作集『時代の未明から来るべきものへ』を刊行。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「間章」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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