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間部 詮衡(まなべ あきひら)は、江戸時代中期の旗本。間部詮房・詮之の実弟。徳川家宣・家継に仕え、本家から独立して赤坂間部家〔「末家」ともいう。また、分家の名称は赤坂氷川台に屋敷があったことにちなむ。〕という分家を興した。 ==生涯== 延宝8年(1680年)、西田清貞の四男として生まれる。元禄7年(1694年)から甲府藩主、徳川綱豊(家宣)の小姓を務める。宝永元年(1704年)、家宣の江戸城西の丸入りにともない西丸小姓となる。 その後、兄の詮之と同じく出世し、正徳5年(1715年)には1550石知行の旗本になった。正徳6年(1716年)、徳川家継の死によって職を解かれ寄合に列する。享保10年(1725年)、死去。享年45歳。遺領と家督は長男の詮長が継いだ。赤坂間部家は明治維新まで存続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「間部詮衡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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