翻訳と辞書
Words near each other
・ 間部詮徴
・ 間部詮房
・ 間部詮方
・ 間部詮昌
・ 間部詮熙
・ 間部詮番
・ 間部詮綽
・ 間部詮義
・ 間部詮芳
・ 間部詮茂
間部詮衡
・ 間部詮言
・ 間部詮論
・ 間部詮道
・ 間部詮邦
・ 間部詮量
・ 間部詮長
・ 間里駅
・ 間重富
・ 間重富 (小惑星)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

間部詮衡 : ミニ英和和英辞書
間部詮衡[けん, ま]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けん, ま]
 【名詞】 1. space 2. room 3. time 4. pause 

間部詮衡 : ウィキペディア日本語版
間部詮衡[けん, ま]

間部 詮衡(まなべ あきひら)は、江戸時代中期の旗本間部詮房詮之の実弟。徳川家宣家継に仕え、本家から独立して赤坂間部家〔「末家」ともいう。また、分家の名称は赤坂氷川台に屋敷があったことにちなむ。〕という分家を興した。
==生涯==
延宝8年(1680年)、西田清貞の四男として生まれる。元禄7年(1694年)から甲府藩主、徳川綱豊(家宣)の小姓を務める。宝永元年(1704年)、家宣の江戸城西の丸入りにともない西丸小姓となる。
その後、兄の詮之と同じく出世し、正徳5年(1715年)には1550石知行の旗本になった。正徳6年(1716年)、徳川家継の死によって職を解かれ寄合に列する。享保10年(1725年)、死去。享年45歳。遺領と家督は長男の詮長が継いだ。赤坂間部家明治維新まで存続した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「間部詮衡」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.