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閔 耭植(ミン・キシク、)は大韓民国の軍人、政治家。太極武功勲章授与者。'')は大韓民国の軍人、政治家。太極武功勲章授与者。 == 人物 == 1921年、忠清北道清原に生まれる。建国大学卒業。学徒出陣して日本軍少尉。 1946年1月、軍事英語学校卒業、任少尉(軍番10018番)。2月7日、故郷の清州で第7連隊を創設し、総司令部幕僚を歴任。1947年12月1日、第2旅団参謀長。1948年2月、陸軍歩兵学校副校長。同年7月、アメリカ陸軍歩兵学校に留学。1949年9月、陸軍歩兵学校校長。 1950年6月、朝鮮戦争が勃発し、ソウルが陥落すると独断で後退中の将兵を糾合して閔支隊(約1個連隊)を編成し、北朝鮮第6師団の遅滞に任じる。釜山橋頭堡の戦いでは韓国軍、アメリカ第8軍の機動打撃部隊として勇戦し、東海岸地区の防御で偉功を立て、第7師団再建の基幹部隊となる。 1950年8月29日、第11師団長。戦時特命検閲部補佐官、大邱防衛司令官を歴任。1950年9月26日、京仁地区戒厳司令部副司令官。1950年10月、第5師団長、任准将。南部の共匪討伐を指揮した。1951年秋、パンチボウルの戦いで勇戦。 1952年1月、陸軍大学副総長。1953年2月9日、第21師団長(初代)。同年5月、任少将。 1954年6月、アメリカ陸軍指揮幕僚大学に留学。 1956年7月、陸軍本部行政参謀副長。 1957年8月、第3管区司令官。 1959年7月、第1軍副司令官。 1960年9月、第2軍団長。 1961年1月、任中将。同年5月に起きた5・16軍事クーデターでは、隷下の第12師団(師団長:朴春植准将)を派遣して協力した。クーデター成功後、第2軍司令官。 1962年5月、第1軍司令官。 1963年6月、参謀総長、任大将。 1965年3月、予備役編入。忠州肥料社長。 1967年、第7代国会議員(清原区、民主共和党)、国防委員長。 1971年、第8代国会議員(清原区、民主共和党)、国防委員長。 1973年、第9代国会議員(清州・清原区、民主共和党)、民主共和党党務委員。 1995年12月、星友会会長(4代)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「閔キ植」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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