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関ケ原駅(せきがはらえき)は、岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅である。 南荒尾信号場で分岐していた上り本線・下り本線と通称「垂井線」と呼ばれる単線が当駅で合流する。岐阜県最西端の駅である。 == 歴史 == * 1883年(明治16年)5月1日 - 官設鉄道の関ケ原 - 長浜間開業時に設置。一般駅当時は、春照駅経由で長浜駅と連絡していた。 * 1889年(明治22年)7月1日 - 分岐点(後の深谷) - 長岡 - 米原 - 馬場間延長線開業。分岐点 - 長浜間休止。 * 1891年(明治24年)1月12日 - 長岡・長浜への分岐点に深谷駅(貨物駅)開業。深谷 - 長浜間が貨物線として運行再開。 * 1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年に東海道本線に改称)の所属となる。 * 1899年(明治32年)10月15日 - 関ケ原 - (柏原) - 長岡間の勾配緩和新線(現在線)が開業。 * 1899年(明治32年)12月28日 - 関ケ原 - 深谷 - 長岡および深谷 - 長浜間廃線。 * 1944年(昭和19年)10月11日 - 新垂井駅経由の勾配緩和別線(下り専用)が開業。南荒尾信号場 - 垂井 - 関ケ原間の下り線が撤去される。 * 1946年(昭和21年)11月1日 - 旧下り線が垂井線(単線)として復活。 * 1973年(昭和48年)10月1日 - 貨物の取扱いを廃止。 * 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取扱を廃止。 * 1986年(昭和61年)11月1日 - 下り本線(勾配緩和別線)にあった新垂井駅が廃止。全普通列車が垂井駅経由での運転となる。 * 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)が承継。 * 2006年(平成18年)11月25日 - TOICA導入。ただし岐阜方面のみ利用可能で、米原方面は使用できない。 * 2016年(平成28年)3月26日 - この日を最後に「ホームライナー関ヶ原」が運転区間を大垣までに短縮し、当駅までのホームライナーが消滅。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関ケ原駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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