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岩木山 竜太(いわきやま りゅうた、1976年3月2日 - )は、青森県中津軽郡岩木町(現弘前市)出身で境川部屋(入門時は中立部屋)所属の元大相撲力士。本名は對馬 竜太(つしま りゅうた)、愛称はツシマ。身長184cm、体重177kg、血液型はO型、趣味は音楽鑑賞と競馬研究。最高位は東小結(2005年3月場所)。現在は、年寄・関ノ戸。 == 来歴 == 3人兄弟の長男であり、弘前実業高校、青森大学と相撲部に所属。高校時代の恩師と中畑清は親交がある〔DeNA中畑監督ギリギリ危機断髪 nikkansports.com 2012年1月29日7時6分 紙面から〕。高見盛は弘前実高相撲部の後輩である〔『相撲』2013年6月号増刊『大相撲 愛された男 高見盛伝説』では高校時代の高見盛についての証言者を務めており、「大物か、天然か」と高見盛の人物評を語っていた。〕。大学卒業後、同じ設立母体の青森山田高校の職員兼相撲部コーチとなって、1998年の全日本選手権大会で8位入賞を果たす〔全日本相撲選手権大会 〕などアマチュア相撲で鳴らしたが、同じくアマチュア相撲を取っていた友人の死をきっかけとしてプロ入りを決意し、中立部屋に入門した〔引退を報じた秋場所千秋楽のNHK大相撲中継によると、十両に上がる頃まではこの友人が夢に出て来たという。なお、この日の解説であった舞の海秀平も同様のエピソードを持つ奇縁がある。〕〔中立部屋(後の境川部屋)を選んだきっかけは中立(のちの境川)が趣味の競馬研究を理解してくれたことであるという。〕。 2000年7月場所に幕下付出で初土俵、幕下60枚目格付出最後の適用者である。怪我で一時は三段目に陥落したが、2001年3月場所に三段目優勝すると幕下中位に定着。2002年3月場所に十両に昇進し、4場所で同年11月場所に新入幕する。2003年4月には青森大学大学院(環境科学研究科環境教育学専攻)に入学し、史上初の現役大学院生力士となる(後に休学)。 2004年9月場所で横綱朝青龍に勝ち、初の金星を獲得する。しかし2006年11月場所以降、翌1月場所、3月場所、5月場所と負け越して7月場所では十両に陥落。主に首に怪我を負って得意のぶちかましができない状況で、年齢もあってか馬力に陰りが見られるようになった。以後も2度十両陥落した。膝にも爆弾を抱えるようになり、2013年9月場所『どすこいFM』を中継している最中に右膝のきしみをマイクで集音したというエピソードが紹介された〔『相撲』2013年11月号81頁〕。 2007年12月に年下の一般女性との婚約を発表する。 魁皇には、11戦全敗と苦手にしていた。逆に、垣添には、稽古場では勝てないものの2009年5月場所終了時点で16戦全勝であったが、2009年11月場所で初黒星を喫した。 2010年4月、小脳脳梗塞で夏場所を休場。同年7月の名古屋場所も回復できずに全休し、秋場所での幕下陥落が濃厚となり、既に年寄名跡「関ノ戸」を取得していることから、そのまま引退する方向になると師匠の境川親方が語った〔元小結の岩木山、名古屋場所も全休 引退の方向 asahi.com 2010年7月9日〕。しかし、2010年7月場所では大相撲野球賭博問題の影響で多数の謹慎力士が出たため、同じ全休でも区別するという形で9月場所は十両に残留することになった。この9月場所も全休し、同場所千秋楽に引退を表明して年寄・関ノ戸を襲名した。断髪式は大相撲八百長問題の影響により8ヶ月の延期を経て2012年1月28日に行われ、中畑清、高見盛など約260人が参加。止め鋏は師匠の境川が入れた〔八百長問題で8カ月延期 元小結岩木山「断髪式」 MSN産経ニュース 2012.1.28 18:19 〕。現在は境川部屋付きの親方として後進の指導に当たっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩木山竜太」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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