|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 関 : [せき, ぜき] (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers ・ 俊 : [じゅん] 【名詞】 1. excellence 2. genius ・ 俊彦 : [しゅんげん] 【名詞】 1. (rare) gifted (accomplished) man
関 俊彦(せき としひこ、1962年6月11日 - )は、日本の声優、舞台俳優、ナレーターであり、歌手。81プロデュース所属。 代表作に『忍たま乱太郎』(土井半助)、『機動戦士ガンダムSEED』(ラウ・ル・クルーゼ)、『幻想魔伝 最遊記』(玄奘三蔵)などがある。 == 来歴 == 姉が劇団四季のファンで、実家の栃木から新幹線で2時間ほどかけて東京へよく舞台公演を見に行っていた事や、部屋にポスターなどが飾られていた事などから役者に興味を持つ。また、関自身も野沢那智と白石冬美がラジオパーソナリティを務めたTBSラジオ番組『ナッチャコパック』の投稿リスナーであり、送ったハガキを読んで貰えた事もあったという。高校生の頃に、ラジオ番組内で野沢が主宰する劇団薔薇座の芝居の宣伝を聞き、役者を募集している劇団がある事を知る。 中学・高校の6年間は剣道に打ち込んだが、大学に進学したら剣道とは違う事をやろうと決意。「ぴあ」を読んでいたところ、その中に前進座の女優である川路夏子率いるグループ・カオスの研究生募集の記事が載っているのを見て「マンツーマンで指導する」というキャッチフレーズに惹かれて、大学入学と同時に応募する。ただ、その頃はまだプロになろうという気はなく、興味半分でどんなものかというのを見に行く感じだったと言う。大学にも演劇研究会はあったが、どうせものを習うんだったら本格的にやりたかったという理由からグループ・カオスの方に入所する。 駒澤大学経済学部卒業。大学在学中の1983年にラジオドラマでデビュー。アニメでのデビューは同年放送のテレビアニメ『太陽の子エステバン』の兵士。OVA『学園特捜ヒカルオン』(1987年)で初主役を務めた〔(cache) 昔話-その25-: 漫画映画家@越智一裕のblog (ウェブ魚拓2009年5月18日分キャッシュ)〕ことを契機に知名度を上げ、主人公やメインキャラクターを数多く演じるようになった。 1991年には山寺宏一・日高のり子と共にユニット・バナナフリッターズを結成し、ラジオ、CDリリース、舞台などで活動した。ユニットは1995年に活動停止。 中尾隆聖と共に主催する劇団「ドラマティックカンパニー」での舞台出演多数。また同若手公演では演出も担当している。小学館が主催する親子向けの絵本読み聞かせコンサート『おはなし玉手箱』では、小林優子らと共に毎年数箇所の会場で絵本の朗読を行っている。81プロデュース付属養成所大阪校やドラマティックカンパニーにて、後進の育成・指導にもあたる。 特撮ドラマ『仮面ライダー電王』シリーズでは主人公の相棒的存在であるモモタロスの声を担当しており〔関俊彦 | 専門学校 東京声優アカデミー - 東京メディアアカデミー 〕、自身が歌唱を務めた主題歌「Climax Jump DEN-LINER form」はオリコンで第2位にランクインし、その功績が認められ『電王』の共演者と共に声優アワードでシナジー賞を受賞〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関俊彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|