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関口 勇(せきぐち いさむ、1910年10月28日 - 未詳)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ、ノルディック複合、アルペンスキー選手。 == 来歴 == 旧制北海商業学校 → 札幌鉄道管理局 → 北海道帝国大学若労会 中学時代からジャンプの選手として知られ、卒業後はノルウェースキー連盟副会長のオラフ・ヘルセット中尉の指導を受けた。飛型の美しさには定評があり、日本で初めて本場北欧のジャンプを身につけた選手と言われる。1930年の第8回全日本スキー選手権大会ジャンプ競技で優勝。1932年のレークプラシッドオリンピックの代表に選出されるが、大会直前に病気で途中帰国した。 その後ノルディック複合に転向し、1935年の全日本スキー選手権大会ノルディック複合で優勝、翌1936年のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックの代表に選出される。同オリンピックのノルディック複合個人では、29位の成績を残した。また、同オリンピックより採用された、アルペンスキー複合(滑降・回転)にも出場したが、後半の回転で失格した。 帰国後はアルペンスキーに転向し、1937年の全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技では回転と複合で優勝する。同大会の長い歴史においても、ジャンプ・ノルディック複合・アルペンの3部門制覇は、関口しか成し得ていない空前の記録である。 戦後は、兵庫県宝塚市でゴルフ練習場を経営する傍ら、全日本スキー連盟の競技スキー技術指導員をつとめた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関口勇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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