翻訳と辞書
Words near each other
・ 関口鯉吉
・ 関口黙斎
・ 関吉の疎水溝
・ 関吉玉
・ 関吉雅人
・ 関向良子
・ 関和久官衙遺跡
・ 関和亮
・ 関和典
・ 関和彦
関和知
・ 関和章子
・ 関和美
・ 関哲夫
・ 関哲夫 (曖昧さ回避)
・ 関哲行
・ 関商工
・ 関啓子
・ 関啓扶
・ 関善光寺


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

関和知 : ミニ英和和英辞書
関和知[せき わち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 

関和知 : ウィキペディア日本語版
関和知[せき わち]

関 和知(せき わち、1870年11月10日明治3年10月17日〔『千葉県友大会』p.23〕) - 1925年大正14年)2月18日)は、日本の衆議院議員憲政会)。
==経歴==
千葉県長生郡東浪見村(現在の一宮町)出身。生家は富農であったが没落したため、小学校教員をしながら、漢学塾に通った〔『奮闘努力近代立志伝』p.146〕。20歳の時、東京専門学校(現在の早稲田大学)政治経済科に入学した。1895年(明治28年)に卒業した後、郷里に戻って立憲改進党機関紙の記者となったが、廃刊となったため、自ら『新総房』という新聞を創刊した〔。
1902年(明治35年)よりアメリカ合衆国に留学した。最初はイェール大学に入学し、後にプリンストン大学に転じ、政治学・経済学・社会学を学んで学位を得、1906年(明治39年)に帰国した。帰国後は『萬朝報』の記者となり、ついで『東京毎日新聞』の編集長に就任した。
1909年(明治42年)、衆議院の補欠選挙に当選し、以後7回の当選を重ねた。その間、内務大臣秘書官、司法副参政官を歴任し、加藤高明内閣では陸軍政務次官に就いた〔『代議士詳覧』p.162〕。
その他。雑誌『憲政』主筆、牛込高等女学校(現在の豊島岡女子学園中学校・高等学校)理事などを務めた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「関和知」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.