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関屋 智義(せきや ともよし、1979年10月18日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == 愛知高等学校から1997年ドラフト3位で、横浜ベイスターズに入団。 入団当初は投手で、入団2年目の1999年にはファームで4勝(6敗)をあげ、将来の主力投手として期待されていた。 2000年にオープン戦の開幕投手に指名されながらも重度の腰痛でシーズンを棒に振ってしまい、オフに手術した。2001年のシーズン終盤に投手として復帰したが、2002年の9月に内野手転向(遊撃手)。しかし、同年10月に戦力外通告を受けた。 2003年、中日、ダイエー、ロッテのテストを受け、ダイエーのテストに合格・入団した。「野手転向したばかりでクビになるとは思わなかった。拾ってくれたダイエーに恩返ししたい」とコメントを残している。しかし、同年8月の広島東洋カープ戦でホーム突入の際、靭帯断裂の大怪我を負う。10月にトレード要員であることを告げられ、そのまま自由契約になり現役引退〔球団事務所のゴミ箱に捨てたトライアウトの書類 関屋智義 - WEDGE 2015年6月25日付〕。 引退後、トヨタ自動車の営業、芸能事務所のマネージャー等の仕事を経て、2006年に愛知県に帰郷し佐川急便に入社。中京支社軟式野球部で内野手として2年間プレーし、天皇賜杯全日本軟式野球大会に出場した。その後2008年から愛知県安城市のニッセイに転職、同社の軟式野球部でプレー。天皇賜杯全日本軟式野球大会国民体育大会に出場し2008年の大分国体では同チームの準優勝に大きく貢献した。 2012年シーズン限りで同社の野球部を引退、現在は社業に就いている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関屋智義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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