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関屋 貞三郎(せきや ていざぶろう、1875年(明治8年)5月4日 - 1950年(昭和25年)6月10日)は、日本の官僚。宮内次官、貴族院議員、枢密顧問官等を歴任した。栃木県出身。 == 年譜 == * 1899年(明治32年)7月10日東京帝国大学法科大学卒業。7月15日内務属、地方課勤務。11月20日文官高等試験合格。 * 1900年(明治33年)5月26日台湾総督府参事官。 * 1902年(明治35年)1月10日兼大蔵省参事官。12月24日叙従六位。 * 1903年(明治36年)7月29日兼内務大臣秘書官。8月26日免兼大蔵省参事官。 * 1904年(明治37年)2月25日免兼官、兼台湾総督秘書官。 * 1905年(明治38年)5月19日兼関東州民政署事務官。5月30日叙正六位。7月31日関東州民政署事務官兼台湾総督府参事官。 * 1906年(明治39年)9月1日関東都督府事務官兼関東都督府民政署長。 * 1907年(明治40年)6月10日叙従五位。10月9日佐賀県事務官、内務部長。 * 1908年(明治41年)6月12日鹿児島県事務官、内務部長。 * 1910年(明治43年)10月1日朝鮮総督府学務局長。12月20日叙正五位。 * 1911年(明治44年)6月28日叙勲四等授瑞宝章。 * 1915年(大正4年)9月29日叙勲三等授瑞宝章。 * 1916年(大正5年)3月31日叙従四位。 * 1917年(大正6年)10月8日朝鮮総督府中枢院書記官長兼朝鮮総督府学務局長。 * 1919年(大正8年)8月20日静岡県知事。 * 1921年(大正10年)3月9日宮内次官。4月11日叙正四位。 * 1922年(大正11年)9月28日叙勲二等授瑞宝章。 * 1926年(大正15年)4月15日叙従三位。10月28日叙勲一等授瑞宝章。 * 1931年(昭和6年)5月1日叙正三位。 * 1933年(昭和8年)2月25日依願免本官。2月27日叙従二位。12月5日貴族院議員(勅選、〜昭和21年4月13日)。 * 1935年(昭和10年)2月日本銀行監事。 * 1939年(昭和14年)6月中央協和会理事長。 * 1946年(昭和21年)3月19日枢密顧問官(〜昭和22年5月2日)。 * 1947年(昭和22年)5月2日廃庁により退官。 * 1950年(昭和25年)6月10日死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関屋貞三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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