|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 関 : [せき, ぜき] (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers ・ 関東 : [かんとう] (n) Kantou (eastern half of Japan, including Tokyo) ・ 東 : [ひがし] 【名詞】 1. east ・ 佐 : [さ] 【名詞】 1. help ・ 営業 : [えいぎょう] 1. (n,vs) business 2. trade 3. sales 4. operations ・ 営業所 : [えいぎょうしょ] 【名詞】 1. business office 2. place of business ・ 業 : [ごう, わざ] 【名詞】 1. deed 2. act 3. work 4. performance ・ 所 : [ところ, どころ] (suf) place
関東バス阿佐谷営業所(かんとうバスあさがやえいぎょうしょ)は、東京都杉並区下井草に位置する関東バスの営業所である。 杉並区を中心に練馬区南西部・板橋区・北区にかけてのエリアと、中野区から新宿方面に向かう路線を管轄する。 == 沿革 == * 1925年:関東バスの前身の一つである中野乗合自動車創業。中野駅 - 阿佐谷線(現在の中01の出入庫)、中野駅 - 鷺宮駅線(現在のなかのんと似た経路)、中野駅 - 石神井公園駅線を所管。 * 1945年1月:中野乗合自動車、関東乗合自動車に吸収合併。 * 1945年2月:阿佐谷車庫 - 小滝橋 - 新宿西口線(現在の宿07)を開設 * 1945年3月3日:戦局の悪化によって本社を小滝橋から当地へ疎開。 * 終戦後:中野駅 - 本社前(阿佐谷六丁目)線が残存、同年末に新宿駅まで延伸。 * 1948年:中野 - 鷺宮線が廃止され、代替として阿佐ヶ谷 - 中村橋線が開通。 * 1948年7月:疎開移転を終了し、本社所在地を小滝橋へ戻す。〔一部文献では11月16日となっている。〕 * 1948年8月1日:都営バスとの共同運行で東京線が開通。 * 1948年9月1日:中野営業所から阿佐谷営業所に名称変更。 * 1963年9月21日:現在の営業所棟を新築する。当時は3階より上層がガイド寮だった。 * 1966年:車両制限令適用を受け、阿佐ヶ谷 - 中村橋線で大幅な経路変更を実施。 * 1968年9月28日:東京線が廃止。 * 1968年10月15日:新橋線が廃止 * 1976年10月1日:中01・宿05・赤31が丸山から移管される。 * 1978年4月1日:宿06が廃止されたことで伊勢丹乗入れを完全廃止し、新宿駅発着路線は全て新宿西口まで短縮。 * 1981年4月1日:阿01を新道(中杉通り)経由に変更、阿01と02で系統番号を入れ替える。 * 1982年3月31日:整備工場を新築 * 1983年3月23日:阿佐ケ谷駅北口広場が完成。 * 1994年12月15日:阿01で深夜バスの運行を開始する。 * 1995年:1501・1502を導入。 * 2001年4月16日:阿02(午後便)を廃止して阿04・05に分割、阿03を新設。 * 2005年11月30日:中野区コミュニティバス「なかのん」が開業、当営業所の所管となる。 * 2008年3月16日:高60を丸山・五日市街道との共同管轄とする。 * 2008年9月16日:高60の共同運行を解消、五日市街道へ完全移管。 * 2010年11月16日:阿51で深夜バスの運行を開始する。 * 2011年5月16日:阿04を片道1便のみに減便。 * 2011年10月2日:A3511- A3513号車がこの日限りで引退し、阿佐谷営業所から3扉車が全廃される。 * 2012年4月2日:中野駅付近の阿45・なかのんの経路変更、中01-3が新設。 * 2013年2月18日:宿03・04が新設、日祭ダイヤを休日ダイヤへ名称変更。 * 2013年3月15日:大02・03が新設。なかのんを大幅に減便。 * 2013年4月1日:阿04を朝に運行開始 * 2015年7月21日:中02が新設、宿03が廃止となる。 戦時統合により、関東乗合自動車に合併した中野乗合自動車の社屋を引き継いだもので、当初は「中野営業所」と称されたが、1948年に阿佐ヶ谷営業所と改称された。また、合併まもない1945年に本社を小滝橋から疎開させ、1948年までこの地に本社が置かれた。前身の中野乗合自動車は1929年に設立され、路線は本線格の「中野駅 - 石神井公園駅線」「中野駅 - 鷺ノ宮駅線」があった。戦後は、これら中野乗合の路線を基に発展していくが、物資不足に伴う路線休止により、終戦直後において機能していた路線は「中野駅 - 本社前(阿佐ヶ谷車庫)線」だけだった。しかし、1945年末にはその路線を新宿西口まで延伸し、さらに起点が伊勢丹に変更、線名も「伊勢丹線」と付き、最盛期には石神井公園・荻窪・南善福寺へ向けて運行した。1948年には、都営バスとの相互乗り入れにより東京線(東京駅 - 高田馬場駅 - 阿佐ヶ谷車庫)が開業し、まもなく西武バスも加わって石神井公園駅まで延長された。 一方、鷺宮地区では戦前に運行されていた中野線が廃止され、最寄り国鉄駅である阿佐ヶ谷駅から中村橋駅を南北に結ぶ路線として、阿佐ヶ谷線が開通した。また、荻窪駅から日大通り方面に運行する日大線も阿佐ヶ谷営業所の受け持ちとなった。廃止となった鷺宮地区から中野駅への路線は、半世紀後の2005年に「なかのん」が開通するまで、他路線やJRなどを利用する必要があり、不便な状態が続いていた。以上のような経緯により、1960年代半ば頃には、早稲田通りを経由して都心方面へ向かう伊勢丹線・東京線、鷺宮 - 中村橋間を軸とする南北ローカル路線の阿佐ヶ谷線・日大線などの路線を主に受け持っていた。しかしこの頃を境に、道路渋滞の悪化や車両制限令適用開始の影響により、路線の整理・縮小が始まるようになった。 車両制限令は道路幅に応じて通行できる車両を制限する趣旨の法令であるが、1966年からバスに対しても適用されることとなり、管内では阿佐ヶ谷駅 - 第九小学校間の旧・中杉通りが同令に抵触した。このため、ここを走る阿佐ヶ谷線は後述するように大幅な経路変更を行わざるを得なくなった。また、同年には地下鉄東西線の大手町以西が開業し、中央線荻窪駅までの直通運転も行われるようになった。これをきっかけに早稲田通りの2路線は以後の10年ほどの間に大幅な変化を見ることとなる。 東京線は、落合から大手町を東西線に沿って走っていたため利用者が激減し、1968年に全線が廃止された。伊勢丹線も同じ頃、荻窪方面行きが廃止され、以上によって早稲田通りの路線は伊勢丹線の石神井公園駅発着便のみに集約された。さらに、伊勢丹線は1970年代と1980年代の2度にわたって行われた路線再編成により分割・短縮され、現在は新宿線と石神井線として運行されている。 関東バスでは、「あさがや」の表記は住居表示と同じ「阿佐谷」に統一しており、営業所名や阿佐ヶ谷北○丁目停留所もこれに従っている。ただし、このような体裁となったのは1960年代以降のことであり、それ以前については「阿佐ヶ谷車庫」、「阿佐ヶ谷北○丁目」のように、「ヶ」を省略しない表記が用いられていた。ただし、「阿佐ヶ谷駅」に関しては実態に合わせて2011年11月15日より「ヶ」を省略しない表記に戻された。 == 現行路線 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関東バス阿佐谷営業所」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|