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関東地震(かんとうじしん)は、大正12年(1923年)9月1日に南関東を中心に発生した巨大地震であり〔宇津徳治 『地震学』 p125, p179, p218.〕〔気象庁 過去の地震津波災害〕、関東大震災を引き起こしたことで知られる〔那須信治『地学事典』「関東地震」(地学団体研究会編、平成8年(1996年) 平凡社発行、ISBN 4-582-11506-3)〕。関東大地震(かんとうおおじしん、かんとうだいじしん)とも呼称される〔今村明恒(1925):關東大地震調査報告(1) , 震災豫防調査會報告, 第100號(甲), 21-65.〕〔宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧』 p272.〕。 なお、元禄16年(1703年)の地震も本地震と類似のメカニズムで起こったと考えられており、本地震を大正関東地震、1703年の地震を元禄関東地震と称する〔石橋克彦(1977): 1703年元祿関東地震の震源域と相模湾における大地震の再来周期 (第1報) , 地震 第2輯, Vol.30, No.3, 369-374.〕〔寒川旭『地震の日本史 -大地は何を語るのか-』 p137, p213.〕。また、これらの地震は相模トラフのプレート境界に沿って発生したと考えられており〔宇津徳治 『地震の事典』 p588, p615.〕、相模トラフ巨大地震とも総称される〔石橋克彦 『大地動乱の時代 -地震学者は警告する-』 岩波新書、1994年, pp125-129.〕(この相模トラフ沿いで発生したと考えられている巨大地震も一般に「関東地震」と総称することがある〔井元政二郎, 森川信之, 藤原広行(2015): M8クラス関東地震発生確率の不確定性について , 日本地震工学会論文集, Vol.15, No.7, 173-179.〕)。 == 概要 == 本地震のメカニズムは、金森(1971)のモデルによれば、震源域は三浦半島の延長線方向の相模トラフの走行に平行する右横ずれの低角逆断層とされる〔佐藤良輔, 阿部勝征, 岡田義光, 島崎邦彦, 鈴木保典 『日本の地震断層パラメーター・ハンドブック』 鹿島出版会、1989年, pp141-151.〕〔金森博雄(1971): 関東地震(1923年)の断層モデル , 東京大学地震研究所彙報. 第49冊第1/3号, 1971.9.30, pp.13-18.〕。武村(1996)も、P波の初動分布による震源メカニズムは、金森(1971)が指摘する通りフィリピン海プレートの沈み込み方向から判断される北北東に34°傾斜する節面が断層面と考えられ、横ずれ成分を多く含むことを支持するとしているが〔武村雅之, 浜田信生(1996): 近地観測点における1923年関東地震によるP波波形の特徴 , 地震 第2輯, Vol.49, No.2, 141-168.〕、異説も有り解明には至っていない(後述)。地震調査委員会は発生要因をフィリピン海プレートの沈み込みによって生じたプレート境界での北米プレートの跳ね返りとしている〔 地震調査研究推進本部地震調査委員会 平成16年8月23日〕。 一方で、フィリピン海プレートと本州側のプレートとの力学的境界は既に銭洲付近にあり、地質学的時間スケールでは駿河トラフ沿いで起こるとされる想定東海地震も、本地震もプレート内地震となるとする見解も出されている〔松浦律子(2014): , 歴史地震, 第29号, 263.〕。 地殻変動による推定から震源断層は湘南地方の内陸深くまで及んでいると考えられており〔、小田原付近の揺れが最も激しかった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関東地震」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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