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(n) Kwantung Army (Japanese armed forces in Manchukuo) =========================== ・ 関 : [せき, ぜき] (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers ・ 関東 : [かんとう] (n) Kantou (eastern half of Japan, including Tokyo) ・ 関東軍 : [かんとうぐん] (n) Kwantung Army (Japanese armed forces in Manchukuo) ・ 東 : [ひがし] 【名詞】 1. east ・ 東軍 : [とうぐん] (n) the eastern army ・ 軍 : [ぐん] 1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops
関東軍(かんとうぐん、)は、大日本帝国陸軍の総軍の一つ(1942年(昭和17年)10月1日以前は軍の一つ)。 == 概要 == 大日本帝国の中華民国からの租借地であった関東州(遼東半島先端)の守備、および南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊が前身。司令部は当初旅順に置かれたが、満州事変後は満州国の首都である新京に移転した(現在の長春市であり、司令部跡は中国共産党吉林省委員会本部となってる)。「関東軍」の名称は警備地の関東州に由来し(関東とは、万里の長城の東端とされた山海関の東側、つまり満州全体を意味する)、日本の関東地方とは関係ない。 張作霖爆殺事件や満州事変を独断で実行したことは、1920年代からの外交安全保障戦略を現地の佐官級参謀陣が自らの判断で武力転換させたことを意味し、その後の日中戦争(支那事変)や太平洋戦争(大東亜戦争)に至る日本の政治外交過程を大きく揺るがす契機となった。なお、これら一連の行動は、参謀本部・陸軍省といった当時の陸軍中央の国防政策からも逸脱していた上、明確な軍規違反であり、大元帥たる昭和天皇の許可なしに越境で軍事行動をする事は死刑に処される程の重罪であったが、首謀者達は処罰されるどころかみな出世した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関東軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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