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関根 紀代子(せきね きよこ、旧姓は吉田、1940年12月15日- )は日本将棋連盟所属の引退棋士(女流棋士)。女流棋士番号は2から1。女流一期生のうちの一人で、引退時には最年長女流棋士であった。夫は後に師匠となる関根茂九段。群馬県前橋市出身。 ==人物== アマチュア時代の1968年、第一回女流アマ名人〔女流アマ名人戦歴代優勝者一覧 日本将棋連盟 〕で優勝。男性強豪との紙上対決等によって頭角を見せることによって、女流棋界創設の際に蛸島彰子のライバル格として注目され、女流二段で入段し女流棋士となった。強い一方でミスが多いためにタイトルには手が届かず、升田幸三になぞらえ、「女升田」と呼ばれた。 1989年に村山幸子が引退し、現役女流棋士最年長者となる。 若い世代が台頭する中で2000年のレディースオープンでは決勝進出、老いてもなお実力者である所を発揮した。還暦での番勝負進出は女流では最年長である(男性を含めると大山康晴の66歳)。 2007年4月より、蛸島の後任として女流育成会の幹事に就任。 2007年6月7日、寺下紀子がLPSAに移籍。これにより、日本将棋連盟に所属する女流棋士で最年長者となる。また、この時蛸島も移籍したが女流棋士番号は2番のままであった。 2009年3月18日、女流四段昇段から20年余りをかけて、史上5人目の女流五段へと昇段した。 2009年3月31日、女流育成会廃止(研修会と合併)に伴い幹事を退任。 2010年4月、女流棋士会の役員制度復活により、女流棋士会会長に就任。 2011年4月1日、日本将棋連盟の正会員となる。女流棋士が正会員になった第一号の9人のうちの1名。日本将棋連盟が公益社団法人に移行し、その時点で在籍する女流棋士で女流棋士番号がふり直され、日本将棋連盟女流棋士番号1番となる。 2011年8月31日、日本将棋連盟役員会に引退届を提出し、受理される。通算成績は、537戦260勝277敗〔日本将棋連盟 関根紀代子女流五段が引退 〕。9月8日付けで普及に多大なる功績があったのを認められ、女流六段となる〔日本将棋連盟 関根紀代子女流五段が女流六段へ昇段! 〕。関根の引退に伴い、日本将棋連盟所属の女流棋士の現役最年長者は森安多恵子、LPSAも含めると蛸島となった。 2013年4月、女流棋士会会長を退任し名誉会長となる〔女流棋士会新役員のお知らせ - 日本将棋連盟・2013年4月2日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関根紀代子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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