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関氏盛 : ミニ英和和英辞書
関氏盛[せき うじもり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

関氏盛 : ウィキペディア日本語版
関氏盛[せき うじもり]

関 氏盛(せき うじもり、生年不明 - 延宝2年4月12日1674年5月17日))は、江戸時代前期の旗本寄合伯耆国黒坂藩の嫡子だった人物。
関盛吉関盛信3男)の長男。母は森本氏。正室は本多正純の養女。子に関長盛、娘(大河内重綱室)、娘(横田由松横田高松の子孫〕室)がいる。
伯父で黒坂藩主の関一政の養子となった。通称は兵助。号は自閑。官位従五位下安芸守兵部少輔
== 概要 ==
養父の一政は、家中騒動のため元和4年(1618年)に改易されたが、嫡子だった氏盛には近江国蒲生郡で5,000石が与えられ、寄合に列する。
寛永17年(1640年)に久能山東照宮の造営奉行を務め、その後正保2年(1645年)に輪王寺三仏堂・新宮拝殿の造営、万治元年(1658年)に天樹院の館の普請、安宅丸の修補奉行などに携わる。
寛文8年(1668年)に致仕して家督を子の長盛に譲る。延宝2年(1674年)、死去。法名は紹由、墓所は東京都台東区下谷の広徳寺。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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