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関 浩二(せき こうじ、1972年6月26日 - )は、東京都青梅市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)。現在はツエーゲン金沢のヘッドコーチを務めている。 == 来歴 == 小学生の頃から読売サッカークラブ(後にヴェルディ川崎。現 東京ヴェルディ)の下部組織に所属。1990年にトップチームに入団(第2節より追加登録)したが、出場機会には恵まれず読売サッカークラブ・ジュニオールに登録変更し、JSL2部でプレーしていた。 1994年、ジャパンフットボールリーグ・東京ガスサッカー部(現 FC東京)に移籍。同部にとっては初の日本人選手とのプロ契約だった〔荒川・2001年 149-150頁〕。関はアマラオと2トップを組み、負傷や累積による出場停止を除いてフル出場を続け得点を量産。攻撃の軸の一人としてサポーターからも絶大な支持を得ていた。アマラオからは「関は大切な友達で、良い選手だった。勝ちたいという気持ちが強くチームに良い影響を与えた」と賛辞を受けている〔荒川・2001年 175頁〕。1995年には日本人得点王となり、チーム初のベストイレブンにも選出された。活躍を買われ1996年にベルマーレ平塚(現 湘南ベルマーレ)に移籍。念願のJリーグ復帰と、V川崎在籍時にはできなかったJリーグデビューを果たした。 1998年途中に古巣・東京ガスに期限付きで移籍。関の加入によるポジション争いでチームは活性化し、同年のリーグ優勝を果たしたが、関自身は1トップの布陣の中でサイドハーフに配され〔荒川・2001年 117頁〕、負傷も重なって無得点に終わった。 さらに同シーズン途中(移籍登録期限直前の10月21日)より、J1参入決定戦に向けて補強を図るコンサドーレ札幌から声がかかり、レンタルにて移籍。翌1999年からは札幌に完全移籍となった。冬でも半袖でプレーする「熱い男」として人気と信頼を得ていたが、この年限りで契約満了により退団。 2000年より地元〔荒川・2001年 154頁〕の関東1部・青梅FCに加入。日本フットボールリーグ(JFL)昇格を目標に、地域リーグ決勝大会に臨んだが、敗退を喫した。2002年限りで退団。 その後、古巣であるコンサドーレ札幌ジュニアサッカースクールコーチに就任し、2004年から2年間は札幌U-12コーチ、2006年より札幌U-15コーチ、2013年より札幌U-15監督と育成年代の指導を担当している。2012年、JFA公認A級コーチジェネラルライセンスを取得〔日本サッカー協会 2012.04.12〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関浩二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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