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関漢卿(かんかんけい、生没年不明)は金末から元初にかけて活躍した元曲の作家。生没年は確かでないが、元雑劇の最盛期にあたる元の大徳年間(1297-1308)頃までは生存したと考えられている。 13世紀に大都(現在の北京)付近で活躍したとされるが、それ以上の関漢卿の生涯は定かではない。医術を施しながら元曲製作をしていたと考えられている。現在、雑劇は60程度の作品名が残されており、脚本が完全な形で現存するものは18(または17)種とされる。散曲は七十余首が残されており、代表作には「不伏老」などがある。 鍾嗣成(約1277-1345以後)の『録鬼簿』では「前輩已死名公才人有編伝奇行於世者」(『録鬼簿』執筆当時に已に亡くなっていて、その雑劇作品が演じられている作家)の項目の筆頭に著録されており、寧献王の『太和正音譜』でも、作品そのものに関しては必ずしも高く評価しているわけではないが、雑劇の始祖として彼を位置づけている。後に白仁甫・馬致遠・鄭光祖とともに元曲四大家と称された。 関漢卿の評価は特に中華人民共和国成立後に高まり、冤罪を着せられた寡婦の悲劇を描く『竇娥冤(とうがえん)』は元曲作品の中でも代表的な位置を与えられている。また粋な妓女(芸者)を主人公にした喜劇『救風塵(きゅうふうじん)』、関羽と魯粛の攻防を描く『単刀会(たんとうかい)』、出家した寡婦の再婚を描く『望江亭(ぼうこうてい)』などが知られている。 ==作品== *『竇娥冤』(感天動地竇娥冤) *『西蜀夢』(関張双赴西蜀夢) *『拝月亭』(閨怨佳人拝月亭) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関漢卿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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