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関衛 : ミニ英和和英辞書
関衛[せき まもる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers

関衛 : ウィキペディア日本語版
関衛[せき まもる]

関 衛(せき まもる、生年不明 - 1942年昭和17年)10月26日)は、日本海軍軍人南太平洋海戦において戦死海兵58期。最終階級は海軍中佐
==経歴==
山形県米沢市〔『続 海軍くろしお物語』「南雲艦隊のサムライ」〕に父・関才右衛門と母・ヤスのもとに生まれる。父は海軍大佐で、日本海海戦に第19艇隊所属の水雷艇」艇長として参戦している。母は旧米沢藩・左近司政記の娘。左近司政三海軍中将は伯父にあたる。
府立五中を経て、1926年大正15年)11月海軍兵学校58期に入校。この時期はダルトンプランによる教育が実施されていた。1930年(昭和5年)11月18日卒業。58期生は少尉候補生として装甲巡洋艦「出雲」・「八雲」に乗組し練習航海に出発。遠洋航海地中海方面へ向かい、司令官は左近司であった。1932年(昭和7年)4月、海軍少尉任官。
1933年(昭和8年)練習航空隊飛行学生となり、館山海軍航空隊を経て爆撃機搭乗員となる。関は和田鉄次郎とともに、日本海軍初の急降下爆撃機操縦員の一人となる〔『遠い潮騒』p.226〕。奥宮正武によれば、後に関は奥宮らとハインケル製の急降下爆撃機を用いて新たな爆撃術の研究開発を行い、部内の権威者となったという〔『機動部隊』第一部第二章〕。その後は霞ヶ浦海軍航空隊教官などを歴任。
日中戦争に参加。空母「龍驤」分隊長として広東攻略戦に参加し、感状を授与された。
1941年(昭和16年)10月海軍少佐に進級。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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