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関西汽船 : ミニ英和和英辞書
関西汽船[かんさいきせん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
関西 : [かんさい]
 【名詞】 1. Kansai (south-western half of Japan, including Osaka) 
西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
汽船 : [きせん]
 【名詞】 1. steamship 
: [ふね]
 【名詞】 1. ship 2. boat 3. watercraft 4. shipping 5. vessel 6. steamship 

関西汽船 : ウィキペディア日本語版
関西汽船[かんさいきせん]

関西汽船株式会社(かんさいきせん、''Kansai Kisen Kaisha'') は、かつて存在した海運会社。瀬戸内海において旅客・フェリー航路の運航を行っていた。
商船三井系列となった後、2009年9月に100%子会社となった。さらに同年10月、営業部門を同じ商船三井系列のダイヤモンドフェリーとともにフェリーさんふらわあへ移管したのち、2011年10月1日にダイヤモンドフェリーとともにフェリーさんふらわあに合併した。
==沿革==

* 1884年5月 - 前身の大阪商船(現・商船三井)が、瀬戸内航路を主として運航していた60余りの船問屋を統合して発足。
* 1912年5月 - 別府温泉の観光開発を目的とした1,000トン級のドイツ製客船「紅丸」(くれないまる)が、阪神 - 別府航路に就航。
* 1916年12月 - 別府港に大阪商船の専用桟橋を設置し、汽船が接岸できるようになる。
* 1942年5月4日 - 大阪商船の内航部を分離し、宇和島運輸ほか5社〔摂陽汽船・尼崎汽船部・土佐商船・阿波国共同汽船および住友鉱業の各社。〕 と共同で関西汽船を設立。
* 1948年1月28日 - 阪神 - 多度津航路の女王丸が、瀬戸内海牛窓沖で機雷に触れ沈没。死者・行方不明者183人(女王丸事件)。
* 1948年 - 関西汽船設立時に参画した各社へ出資還元され、各社が資本離脱する〔沿革 (会社概要) - 宇和島運輸(2010年9月20日閲覧)〕〔共同汽船の記述も参照。〕。
* 1951年 - 阪神 - 沖縄航路を開設、「新興丸」が就航。
* 1960年 - 「くれない丸」が大阪港 - 神戸港 - 松山港 - 別府港を結ぶ別府航路(瀬戸内航路)に、僚船の同型船「むらさき丸」とともに就航〔のちに、僚船として「すみれ丸」「こはく丸」「あいぼり丸」「こばると丸」が就航し、3,000トン級クルーズ客船が最大時6隻体制となった別府航路(瀬戸内航路)は、阪神と九州を結ぶ観光路線として多くの新婚旅行客などを別府温泉などへと運んだ。〕。
* 1962年 - 修学旅行専用船として「わかば丸」(「おとわ丸」を改装)が大阪・神戸 - 別府航路に就航。
:1964年には「ふたば丸」(「舞子丸」を改装)が就航。1974年まで運行された〔関西 - 東九州間の輸送は必ず片道を鉄道、片道を船舶によっていた。実際別府~大阪間は鉄道との所要時間は変わらず、料金も船舶を利用したほうが格段に安価であった。「わかば丸」「ふたば丸」終航後は通常の旅客船が使用されたが、1975年山陽新幹線博多開業により船舶利用は減少した。〕。
* 1967年
 *7月 - 阪神 - 今治 - 松山 - 別府航路に旅客船「あいぼり丸」が就航。
 *8月 - 阪神 - 今治 - 松山 - 別府航路に旅客船「こばると丸」が就航。
* 1969年11月 - 加藤汽船と共同で神戸 - 高松航路「ジャンボフェリー」を開設し、第1船「六甲丸」(初代)が就航。
* 1970年9月 - 神戸 - 高松航路(ジャンボフェリー)に第2船「生駒丸」(初代)が就航。
* 1971年
 *3月 - 阪神 - 今治 - 松山 - 別府航路にフェリー化第1船「ゆふ」が就航。
 *6月 - 阪神 - 今治 - 松山 - 別府航路にフェリー化第2船「まや」が就航。
:同航路は毎日運航となったが、両船ともトラックの乗船はできず、乗用車約50台を乗せるのみであった。
 *8月 - 阪神 - 奄美 - 那覇航路にRORO型貨客船第1船「黒潮丸」が就航。
 *8月 - 共同汽船共正汽船と共同で阪神 - 徳島間に徳島阪神フェリーを設立。10月より「おとわ丸」が就航。
* 1973年
 *3月 - 神戸 - 日向航路を開設し、「にちなん丸」が就航。
 *6月 - 阪神 - 奄美 - 那覇航路にRORO型貨客船第2船「若潮丸」が就航。
 *8月 - 大阪高知特急フェリーの「とさ」を用船、、「はやとも丸」に改名の上小倉 - 松山航路に就航。
* 1978年
 *3月 - 商船三井より「いせ丸」を用船、(後に来島どっくの売船の上用船。)「くろしお」後に「フェリーくろしお」に改名の上、阪神 - 奄美 - 那覇航路に就航。同航路をフェリー化する。
 *7月 - 経営再建のため、来島どっくが関西汽船の筆頭株主になる。
* 1979年6月 - 「若潮丸」をクルーズ客船に改造し、「さんふらわあ7」に改名(同社初の「さんふらわあ」塗装)。
* 1980年
 *11月 - 来島どっくより 「フェリーこがね丸」を用船、阪神 - 別府航路に就航。
 *12月 - 来島どっくより 「フェリーにしき丸」を用船、 阪神 - 別府航路に就航。
:もともと客船指向であったため、本格的なカーフェリーの導入は他社に遅れることとなった。
* 1982年
 *2月 - 引退した大阪高知特急フェリーの「フェリーかつら」を用船。小倉 - 松山航路就航(デイリーサービス化)
 *11月 - 神戸 - 日向航路を廃止。「にちなん丸」は来島どっくに売却。改装の上、室戸汽船に「フェリーむろと」(2代)として用船。
 *12月 - 室戸汽船より、フェリーむろと(初代)を用船、「くるしま丸」に改名のうえ小倉 - 松山航路に就航。「フェリーかつら」は用船解除。
* 1983年
 *6月 - 来島どっくより 「クイーンコーラル2」を用船。 阪神 - 今治 - 松山 - 別府航路に就航。「ゆふ丸」は係船。
* 1984年
 *1月 - 来島どっくより 「くるしま7」(元「黒潮丸」をフェリー化)を用船。阪神 - 今治 - 松山 - 別府航路に就航、「クイーンコーラル2」を「くいーんふらわあ2」に改名。「まや丸」を阪神 - 小豆島 - 高松航路に転配。
 *12月 - 来島どっくより 「さんふらわあ」「さんふらわあ2」を用船。阪神 - 別府航路に就航。
* 1987年
 *3月 - 前年に経営危機が表面化した来島どっくが、関西汽船の経営から撤退することを表明。 
 *4月 - 加藤汽船と共同で阪神 - 高松航路「ジェットライン」を開設し、ジェットフォイル「ジェット7」「ジェット8」が就航。小倉 - 松山航路に「フェリーくるしま」が就航。「くるしま丸」は用船解除のうえ、室戸汽船に変船。
 *9月 - 小倉 - 松山航路に「フェリーはやとも2」が就航。「はやとも丸」は用船解除、引退。
* 1990年
 *6月 - 神戸 - 高松航路(ジャンボフェリー)に「六甲丸」(2代目)が就航。
 *7月 - 大阪商船三井船舶(現・商船三井)が、来島グループだった関西汽船およびダイヤモンドフェリー室戸汽船に資本参加し傘下におさめる。
 *11月 - 「さんふらわあ」「さんふらわあ2」「くいーんふらわあ2」「くるしま7」「フェリーくろしお」を、来島興産(来島どっくの債務管理会社)より22億5,000万円で購入。神戸 - 高松航路(ジャンボフェリー)に「生駒丸」(2代目)が就航。
* 1991年
 *3月 - 阪神 - 高松航路(ジェットライン)が1隻運航に減便となる。小豆島寄港を開始する。
 *8月 - 「くいーんふらわあ2」と室戸汽船の「フェリーむろと」(3代)が神戸沖で衝突。11人負傷。
* 1992年
 *8月 - 阪神 - 松山 - 別府航路に「さんふらわあ こがね」が就航。同航路には12月の第2船就航まで「フェリーコスモ」が用船され、1日3便の同航路がすべてフェリー化される。
 *12月 - 阪神 - 松山 - 別府航路に「さんふらわあ にしき」が就航。
* 1995年
 *1月 - 阪神・淡路大震災により神戸港が使用不能になったため、復旧まで寄港を一時中止する。
 *2月 - 阪神 - 松山 - 別府航路を1日3便から2便に減便。阪神 - 小豆島 - 高松 - 今治 - 別府航路を廃止。
:これにより長年、大阪側のターミナルとして使われていた弁天ふ頭を発着する定期航路が廃止となる。
* 1997年12月 - 阪神 - 松山 - 別府航路に「さんふらわあ あいぼり」が就航。
* 1998年
 *3月 - 阪神 - 奄美 - 沖縄航路を廃止。
 *4月 - 明石海峡大橋開通に伴い、神戸 - 高松航路(ジャンボフェリー)の共同運航から撤退、徳島阪神フェリーを廃止する。阪神 - 松山 - 別府航路に「さんふらわあ こばると」が就航。
* 2000年10月11日 - 阪神 - 小豆島 - 高松航路(ジェットライン)を廃止。
:翌12日より五島産業汽船が同航路の運航を開始したが、2006年4月をもって廃止。
* 2002年6月 - 加藤汽船などとの共同出資で「高松エクスプレス」を設立し高速バス事業に参入。8月5日より「たかなんフットバス号」の愛称でなんば - 高松間で高速バスの運行を開始(南海バスと共同運行)。
* 2003年4月1日 - ダイヤモンドフェリーと大分 - 松山 - 神戸間の一部共同運航を開始。
:当初の共同運航区間は、関西汽船の阪神 - 松山 - 別府航路(上り便)の大分→神戸間のみであった。また、関西汽船の阪神 - 松山 - 別府航路の神戸発着埠頭は、下り便が中突堤、上り便が六甲アイランドフェリーターミナルとなった。また、大阪発着埠頭も、かもめ埠頭から南港フェリーターミナルに変更される。
* 2005年
 *4月1日 - ダイヤモンドフェリーと「フェリーさんふらわあ共同営業センター」を設立。各種割引の相互利用が可能になる。
 *9月15日 - 阪神 - 松山 - 別府航路(下り便)の神戸発着埠頭を、神戸ポートターミナルに移転。
 *10月1日 - 燃料油価格変動調整金を設定。
* 2006年
 *3月 - 「フェリーさんふらわあ」共通の会員制度「瀬戸内海倶楽部」開始。
 *10月1日 - 燃料油価格変動調整金を変更。阪神 - 別府航路の到着地入港時刻を6:20から6:30に10分繰り下げるダイヤ改定を実施。
 *10月10日 - 大分港が新ターミナルに移転する。
* 2007年
 *7月9日 - 「さんふらわあ こばると」が松山市沖でタンカーと衝突。「さんふらわあ こばると」の左舷に亀裂が入り、修理のため1週間欠航となる。
 *11月21日 - ダイヤモンドフェリーの新造船「さんふらわあ ごーるど」が、阪神 - 別府航路(下り直行便・上り寄港便)に就航。「さんふらわあ こがね」がダイヤモンドフェリー中九州航路に転配。
* 2008年
 *1月16日 - 中九州航路寄港便の大分側発着港を大分に変更。同時に今治にも寄港開始。これにより、別府港を発着するのは直行便のみとなる。また、神戸港の発着場所を六甲アイランドフェリーターミナルに集約(これに伴い、神戸港ポートターミナルを発着する国内航路はなくなった)。
 *7月8日 - 大阪南港の発着埠頭を、南港フェリーターミナルから南港コスモフェリーターミナルに変更。
* 2009年
 *3月18日 - 商船三井による株式公開買付け (TOB) の実施が発表され、関西汽船が同意。同年4月13日、商船三井に対して第三者割当増資を実施し同社の連結子会社(株式保有比率は63.88%)となる。同月27日、TOBが成立(同社の株式保有比率は89.11%)。株主優待割引乗船券(40%割引)は3月末発行分をもって廃止。
 *6月1日 - 寄港便の今治、神戸寄港が無くなる。また寄港便の上り便の到着港が、南港フェリーターミナルに戻る(出航は南港コスモフェリーターミナルのまま)。
 *9月25日 - 種類株式発行会社への定款変更し、普通株式への全部取得条項の付与、747万株をA種種類株式1株への引換(少数株主は端数として現金化)を実施。これにより商船三井の完全子会社となる。なお、この措置に先立つ同月16日には株式上場が廃止されている。
 *10月23日 - 商船三井が完全子会社のダイヤモンドフェリー株とあわせて株式移転を実施し、親会社のフェリーさんふらわあを設立。同社の完全子会社となり経営統合する。
* 2010年2月1日 - ダイヤモンドフェリーと共同運航の寄港便を廃止。大阪 - 別府航路の大阪行のみ松山経由となる。
* 2011年4月30日 - 大阪 - 別府航路、大阪行の松山寄港を取りやめ。
* 2011年10月1日 - ダイヤモンドフェリーとともにフェリーさんふらわあに合併し解散。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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