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関西鉄道(關西鐵道。かんさいてつどう、かんせいてつどう〔 「くゎんさいてつだう」と表記。〕〔 「カンセイ(カンサイ)」と表記。〕)は、明治時代に存在した鉄道会社。大阪府中東部・三重県・奈良県・和歌山県を中心に路線を展開した。 現在JR東海・JR西日本が保有する関西本線・草津線・片町線・紀勢本線・桜井線・和歌山線・奈良線・大阪環状線の前身である。本社は三重県四日市市にあったが後に事務所は大阪に移転した〔『日本鉄道史』中篇 p. 357「(明治)33年1月15日網島に大阪事務所[後35年9月之を湊町に移転せり]を設け3月1日より社長以下職員該事務所に於て全般の社務を行うものとし」〕。 官営鉄道(官鉄)東海道線のルートから外れた三重県・滋賀県の旧東海道沿いの地域を東海道線と連絡する目的で開業したが、周辺鉄道会社を合併することで路線規模を広げ、名古屋 - 大阪間の独自直通ルート開設を実現した。東海道線との間で壮絶な旅客獲得競争を繰り広げたことが後世まで有名になっている(後述)。 旅客サービスや車両技術において先進的な試みを行ったことでも知られるが、この背景として、日本の鉄道技術の先駆者と言われる島安次郎が初期に技師として同社に在職していた〔『日本鉄道史』中篇 p. 371「(明治)31年末に在りては(中略)汽車課長島安次郎(中略)在任せしが(中略)34年5月汽車課長島安次郎辞し」〕ことがあげられる。 == 沿革 == === 設立から名阪全通 === 官設鉄道の経路から外れた東海道沿いの滋賀、三重県下の都市を東海道線に結ぶ目的で設立された〔『日本鉄道史』上篇 pp. 812-814〕が、当初から大阪進出の意図はあったとされ、同じく名阪間に出願した大阪鉄道 (初代)との間で調整もなされている。 その後、路線を西へ奈良に延長、片町 - 四条畷を開業していた浪速鉄道および四条畷から木津方面の路線免許を持つ(未開業の)城河鉄道を合併して現在の片町線経由で名阪間を開通、1898年(明治31年)に大阪片町にターミナルを入手した。しかし、敷地の拡張が困難なため網島(廃止)に起点を移設、さらに湊町から奈良に路線網を持つ大阪鉄道 (初代)を合併し現在の関西本線を全通、湊町にターミナルを再度移転させた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関西鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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