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関 隆志(せき たかし、1939年(昭和14年)2月16日 - )は、日本の古典考古学者。京都府京都市生まれ。国際基督教大学(学士)、ドイツのルール大学ボーフム(Dr. Phil.)。幾何学様式時代からヘレニズム末までのギリシャ陶芸・建築・彫刻、及び、ローマ帝政期美術に関する古典考古学で、欧米を中心に活動する。大阪市立大学名誉教授〔「関 隆志名誉教授略歴・著作目録・その他」『人文研究』(大阪市立大学大学院文学研究科紀要)、第54巻第2分冊、1~9頁、2002年。〕。 1987年アテネ考古学協会Archaeological Society of Athens名誉会員〔TA NEA 〕。1991年『古典古代神話図像学事典』(Lexicon Iconographicum Mythologiae Classicae) 国際科学委員会委員。1997年ドイツ国立考古学研究所Deutsches Archäologisches Institut客員会員。 == 経歴 == 京都府京都市出身。兵庫県立西宮高等学校卒業。国際基督教大学教養学部語学科に入学。語学科、社会科学科、人文科学科で学び、207単位を修得して卒業。関によれば、ICUの3学科での経験は、主専攻科目1、副専攻2科目の履修を課したルール大学ボーフムで役立ったとのこと。1969年から国際会議同時通訳(日⇔英)〔「好きな作品の文章を暗記」朝日新聞1969年12月1日(大阪版)。〕の後、1970年10月にルール大学ボーフム大学院へ留学。1975年10月から同考古学研究所副手。 ボーフム大学ではアンドレエ教授(Prof. Bernard Andreae)、フィツチェン教授(Prof. Klaus Fittschen)、シュトロッカ教授(Prof. Volker M. Strocka)の下でミケーネ時代からローマ時代晩期まで、古典考古学(Klassische Archäologie)全般について学ぶ。1978年に博士論文 "Untersuchungen zum Verhältnis von Gefässform und Malerei attischer Schalen"(「アッティカ杯の形状と装飾画の相関関係の考察」)を書き上げ、口頭試問 (Rigorosum) を受けてDoktor der Philosophieを1978年2月に取得。 1978年5月にドイツ国立考古学研究所(Deutsches Archäologisches Institut)の出版助成金(満額)を受けて博士論文(ドイツ語)を刊行することになる。関は研究調査旅行奨学金(Reisestipendium)の支給も受け、ベルリン、ミュンヘン等のドイツ国内の博物館、英国、フランス、ギリシャ等6か国14都市の主要博物館において、アッティカ杯431作品を調査する。著作Untersuchungen zum Verhältnis von Gefässform und Malerei attischer Schalen (ISBN 3-7861-1285-1) はGebr. Mann Verlagから1985年3月に出版される。 1979年11月に博士論文出版原稿をベルリンのマン兄弟出版社に手渡して帰国。翌1980年4月から関西学院大学大学院で「西洋考古学特殊講義」を担当(非常勤講師)。同じく神戸女学院大学、島根大学でも非常勤講師を務める。1981年4月大阪市立大学文学部講師、1982年4月同助教授、1987年4月同教授。2001年4月同文学研究科教授。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関隆志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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