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阪田 恒四郎(さかた つねしろう〔『日本の創業者 近現代起業家人名事典』138-139頁〕、安政4年(1857年)7月 - 昭和19年(1944年)3月5日)は、日本の実業家、サカタインクス創業者〔。俳人。大中寅二は女婿、阪田寛夫は孫、大浦みずきは曾孫にあたる〔〔『新日本人物大観』広島県版 サ…656頁〕。 == 来歴・人物 == 阪田家は、代々紺屋の屋号で安芸国忠海(現在の広島県竹原市忠海)で海運業を営んでいた〔。恒四郎の父・林助は少年期に大坂へ出て幕府御用商の銅精錬所に奉公。恒四郎は大坂で生まれるが文久元年(1861年)、父の帰郷と共に4歳から広島忠海で育つ〔〔#土の器55頁〕。23歳で広島県豊田郡役所に書記として採用される。恒四郎の次男・阪田素夫(阪田寛夫の父)他、のちに家業を継ぐ五男のうちの3人はいづれも忠海生まれ〔〔『新日本大観』23-24頁〕〔#土の器9、56、61頁〕。明治28年(1895年)退職して広島市で銀行員となる〔。翌、明治29年(1896年)38歳の時、運送業を始めようと千円持って上阪〔#土の器11、61頁〕〔#阪田寛夫236-237頁〕〔『私たちが生きた20世紀 下』102-105頁〕。大阪駅前の運送店の買取り交渉を始めたが難航。その頃、新聞インキの製造販売を知り合いに勧められる。新聞事業の発展性を強く感じていたこともあって計画を変更して、インク製造事業に賭けてみようと同年、大阪九条村(現在の大阪市西区)に日本で初めてとなる新聞インキ専業メーカー・阪田インキ製造所(現・サカタインクス)を創業した〔〔〔#土の器56頁〕〔サカタインクス株式会社 会社概要 - 企業情報サイト「ザ・ビジネスモール」 〕。明治39年(1906年)阪田商会に改称。還暦に達した大正6年(1917年)、次男の素夫に家業を譲って隠居生活に入り〔俳句を楽しんで余生を送った〔#土の器69頁〕〔。俳号は桃雨〔#土の器55頁〕。孫の阪田寛夫は恒四郎に顔もよく似ており、気質や文芸の才能は恒四郎から受け継いでいるといわれる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阪田恒四郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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