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阪神3801・3901形電車(はんしん3801・3901がたでんしゃ)は、阪神電気鉄道がかつて所有していた優等列車用の通勤形電車である。1974年から1977年にかけて、西大阪線(現・阪神なんば線)の難波駅延長計画を見越して、同線用に4両編成3本計12両が製造された。その後の情勢の変化に伴い、1986年に6両貫通編成の8701・8801・8901形と2両編成の7890・7990形電車に改造された。改造後の8701・8801・8901形は阪神本線の優等列車仕業に充当されていたが、2009年に廃車された。一方の7890・7990形は7861形とともに武庫川線で運行されており、2011年現在も在籍している。 本項では、本形式および本形式からの改造車両である8701・8801・8901形、7890・7990形の両形式についても紹介する。 == 急勾配への対応 == 阪神なんば線は当初伝法線という名称で開業したが、もともと大正時代に計画された第二阪神線の一部として建設された経緯を持つ。開業当初の大阪方の終点は千鳥橋駅と、現在から見ると郊外部に設定されていたが、当初計画ではここから一直線に福島駅を経て梅田駅に向かう予定になっていた。その後第二阪神線の計画が頓挫すると、伝法線は終点の千鳥橋で大阪市電に連絡するだけのローカル線と化していた。 太平洋戦争後、阪神と近畿日本鉄道の両社線を結ぶ路線が計画されるようになると、伝法線の存在がクローズアップされるようになる。その第一歩として1964年5月に伝法線を西九条駅まで延長して西大阪線と改称、近鉄側においても1970年3月に難波線を開業させて近鉄難波駅までの延伸を果たした。引き続いて阪神側が西九条駅から大阪市交通局(大阪市営地下鉄)中央線と接続する九条駅までの延伸工事を開始したが、この区間では西九条駅が大阪環状線をまたぐ重層高架となっているほか、安治川橋梁までの区間も、安治川を小型船舶が遡上することから、O.P.(大阪湾最低潮位)+10m以上の高高架で越すように設計された。しかし、安治川橋梁以東は一転して中央大通までの1km前後で地下トンネルに入る必要があることから、この区間で35‰ - 40‰の急勾配が生じることとなった。このため、西大阪線延伸時には急勾配区間の走行に対応した車両を投入することとなり、急行系車両の「赤胴車」の一種として、当時最新鋭の7001・7101形をベースに、急勾配に対応すべく主電動機の出力を増強し、ブレーキも7801形以降に新製された電車が省略していた発電ブレーキを再度取り付け、さらに抑速ブレーキを追加して連続急勾配に備えた本形式を製造することとなった。 なお、本形式の設計計画時には、乗り入れ先の近鉄奈良線の車両規格に対応した20m級の4扉車として計画されたという話が残っている〔川島令三の『私の「戦後」電車史』の中にも、形式を特定していないが阪神における20m4扉車開発計画の話が紹介されている。〕。ただし、20m車両の計画がこの形式であるのか、これとは別の形式なのかは不明である〔なお、現在阪神なんば線から近鉄奈良線に乗り入れている9000系・1000系は従来の阪神電車と同様の19m級3ドア車である。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阪神3801・3901形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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