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阪鶴鉄道 : ミニ英和和英辞書
阪鶴鉄道[はんかくてつどう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つる]
 【名詞】 1. crane (bird) (Gruidae family) 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
鉄道 : [てつどう]
 【名詞】 1. railroad 

阪鶴鉄道 : ウィキペディア日本語版
阪鶴鉄道[はんかくてつどう]
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阪鶴鉄道(はんかくてつどう)は、大阪から福知山を経て舞鶴を結んでいた鉄道路線、およびその路線を運行していた鉄道会社である。
== 概要 ==
尼ヶ崎(のちの尼崎港)-池田(現在の川西池田)間で営業していた摂津鉄道に出資していた小西業茂(小西新右衛門)らが大阪財界人と結んで、軍港を擁し日本海側の主要都市の一つであった舞鶴と大阪を結ぶ鉄道を計画。1893年(明治26年)8月に大阪-神崎-池田-三田-福知山-舞鶴間の鉄道敷設を出願。12月には福知山-和田山-八鹿間の支線敷設も出願した。1895年(明治28年)、正式に会社組織として設立、本社は大阪市北区曾根崎に置かれた。しかし同じく舞鶴への鉄道敷設を競っていた京都鉄道京都綾部-舞鶴間の認可が下りたため、阪鶴鉄道には福知山-舞鶴間の認可は下りなかった。また、神崎(現JR尼崎)-大阪間も、官鉄線と並行しているという理由で認可が下りなかった。その結果、認可を得たのは神崎-福知山間だけであった。1897年(明治30年)2月に摂津鉄道を合併し、12月に池田-宝塚間が開業。1898年(明治31年)6月に塚口-官鉄線神崎間が開業し、9月に官鉄線に乗り入れて大阪まで直通運行。1899年(明治32年)には宝塚以北が1月に三田、3月に篠山(現在の篠山口駅)、5月に柏原と順次延伸され7月に福知山南口(のちに廃止)まで開通した。この頃本社を伊丹町(現伊丹市)、次いで登記上の本社を川西市寺畑村8番地の1に移転。
ところが阪鶴鉄道が接続するはずの京都鉄道は建設が難航し、福知山-舞鶴間が開業していなかった。このため阪鶴鉄道は1899年(明治32年)12月に改めて福知山-八田-舞鶴および宮津間の鉄道敷設を申請したが、却下された。このため阪鶴鉄道は宮津まで由良川による舟運を計画する。1901年(明治34年)12月(諸説あり〔1901年(明治34年)3月に福知山宮津間の由良川を利用し鉄船2艘を建造『速水太郎伝』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕〔1902年(明治35年)5月29日に小型蒸気船を運航せしめ福知山舞鶴間由良川により旅客の連絡開始『帝国鉄道要鑑. 第3版』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕〔第二由良川丸の製造日が1902年(明治35年)7月(船舶番号8391所有者速水太郎)(第一由良川丸は未掲載)『日本船名録. 明治36年』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕〔1901年(明治34年)3月に航路開設当初は全行程を川船で上下し、1902年(明治35年)に第一・第二由良川丸建造し福知山河守は川船で河守由良間を第一・第二由良川丸で運航『鉄道連絡船100年の航跡』8-9頁〕)に福知山南駅より人力車を使い蛇ヶ端乗船場までいきそこから川船で河守までさらに由良までは由良汽船を設立し第一由良川丸と第二由良川丸〔写真『第五回内国勧業博覧会審査報告. 第8部』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕を建造し輸送。舞鶴方面は途中藤津から宮津方面は由良よりそれぞれ人力車で連絡した〔1904年11月まで続けられた田中真人ほか『京都滋賀鉄道の歴史』京都新聞社、1998年、277頁〕。1902年(明治35年)4月に京都鉄道の免許は取消となり官設鉄道が敷設することとなり〔「私設鉄道株式会社線路中免許取消」『官報』1902年4月24日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕1904年(明治37年)11月に新舞鶴福知山間が開通すると、あわせて阪鶴鉄道も福知山南口-福知山間を開通させ、官鉄線福知山-新舞鶴間を借り受けついに大阪-舞鶴間の直通運行が実現した。そして
丹波若狭地方との連絡のため舞鶴より宮津小浜などへの連絡船の運営を開始した。
なお、神崎-大阪間の将来の輸送量の増加を考え、支線として池田-大阪間の鉄道敷設免許を受けた。
1907年(明治40年)8月1日に、鉄道国有法により帝国鉄道庁に尼ヶ崎-福知山間の営業を譲渡し国有となりJR福知山線の原型となった。また、池田-大阪間の鉄道敷設免許は国有化直前に失効したが、計画は阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道に継承され、阪急宝塚本線の原型となった。
東京都品川区の東品川公園には、アメリカピッツバーグ・ロコモーティブ・アンド・カー・ワークス社から輸入され、阪鶴鉄道1213として使われていた機関車が保存されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「阪鶴鉄道」の詳細全文を読む




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