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防芸引分(ぼうげいひきわけ)は、天文23年(1554年)5月12日に、周防国(防)の大内義長・陶晴賢に対して安芸国(芸)の毛利元就が断交した出来事である。この「引分」とは、関係が決裂したことを表す言葉で、合戦そのものを指すわけではないが、防芸引分の対外的な表明となった戦い(安芸佐西郡にある大内氏諸城の攻略)も併せて解説する。 == 背景 == 大内氏第31代当主の大内義隆は、天文20年(1551年)に大内重臣・陶隆房によって自害に追い込まれた(大寧寺の変)。毛利氏は長年大内氏に臣従していたが、安芸国での義隆支持派の諸城を攻略して、隆房の謀反に同調。その後も、大内の家督を継いだ大内義長と、実権を握った陶晴賢(隆房から改名)に従い、大内氏に臣従する毛利氏の関係は従来通りに維持されていた。 元就の嫡男である毛利隆元は、岳父・義隆(内藤興盛の娘である隆元の妻は、義隆の養女)の敵討ちをかねてより主張していたが、元就は毛利・大内の力の差などを現実的に判断して思いとどまった。むしろ、この機会を通じて安芸国人領主たちの掌握に尽力し、毛利家の勢力拡大に成功した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「防芸引分」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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